振り返ってからでは遅い事もある ~イギリス児童移民制度より~

そこで、マーガレット氏はロンドンにあるイギリスでの出生や婚姻の記録を保存している総合登録管理局を訪れ、マデリンの出生記録を探し出す事にしました。
すると、彼女の話す通りの本名と生年月日である事が分かりましたが、出生記録に母親の名前は記載があるものの父親に関する記載は見当たりませんでした。

そして、母親の記録を更に遡ってみた所、母親はマデリンがオーストラリアに送られた後に再婚し、今も生きている事が判明します、、、

つまり、マデリンがイギリス及びオーストラリアの両方の養護施設で聞かされていた話と《 事実が食い違っている 》という事が分かって来ました、、、

 

そこで、マーガレット氏は存命の母親の元を訪ね、当時のお話を伺ってみた所、その女性は自分がマデリンの母親である事を認めますが、当時はお金が無くマデリンをイギリスの養護施設に預けたと告白しました。
しかし、その養護施設からは「(娘であるマデリンは)どこか良い家の養子になって、ちゃんとした家庭で育てられる」と《 約束された 》と母親は話します。

ここでマーガレット氏は「母親はマデリンがオーストラリアに行った事を知らないのでは???」と驚き、母親もマーガレット氏にマデリンは今どこにいて、養子先の家庭で幸せに暮らしているのかと、《 逆に 》マーガレット氏が尋ねられる状況となってしまいます。

それで、マーガレット氏は母親に《 事実 》を告げ、マデリンは今はオーストラリアにいる事を伝えた事で、マーガレット氏とマデリンの母親の双方がイギリス及びオーストラリアの養護施設の《 嘘 》に気づく事となっていきました、、、

その翌年の1987年1月、マーガレット氏はオーストラリアのメルボルンの現地の新聞に、以下の内容の「たずね人」の広告を掲載する事にしました。

 

【 1940年代から50年代に親の付き添い無しでイギリスからオーストラリアに送られた人、この人達の子ども時代を調査したいので連絡下さい 】

 

すると、掲載から1ヶ月も経たない内に該当者と思われる人達からの手紙が10通以上届き、マデリンと同じ悩みであったり、似たような状況が書かれており、更にはオーストラリアに送り出したイギリスの養護施設からも《 未だに何の説明も無く 》、このような仕打ちを受けた事に対する《 怒りの感情 》も多数綴られていました、、、

 

すると、マーガレット氏の夫がイギリスの公文書館で《 ある情報 》を仕入れて来て、マーガレット氏に教えます。
それが、

 

児童移民制度

 

というものでした、、、

マーガレット氏もこれ迄そんな制度は《 聞いた事も無い 》ものでした、、、

そして、調べを進めていく内に、この児童移民制度とは大英帝国が世界中に植民地を持っていた時代にイギリス出身の子どもを大量に植民地に移住させる事で、その植民地での白人の人口を増やし、先住民に対して《 優位性を保とうとした政策である事が判明して来ます。

 

そして、実際に19世紀後半から20世紀前半に掛け、イギリスはカナダやオーストラリアやニュージーランドや南アフリカやジンバブエなど、計15万人もの子ども達を送っていた事も分かって来ました。
特にオーストラリアへの児童移民は「1967年」まで続けられていました、、、

そして、対象とされた子ども達はイギリス国内での貧困家庭や親を失ったなどの事情がある者が選別され、「子ども達を新天地(実際は植民地)に送り出し、新しく豊かな人生に再出発させる」という《 名目 》で進められていた事も分かって来ます、、、