群衆心理(群集心理)が向かう先には:後半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

では、話を戻し、

ル・ボン:
『 群衆は事情次第で、単独の個人よりも優ることも、また劣ることもある。
  すべては、群衆に対する暗示の仕方如何にかかっている。 』

 

このような暗示には当然ながら《 自己暗示 》も含まれてきます。
そして、ル・ボンは群衆を動かすには指導者の威厳が大きく影響すると指摘します。

① 先天的な人格的威厳(カリスマ性をもつ)
② 後天的な人為的威厳(家名、肩書き、資産、評判など)

ル・ボン:
『 後天的、つまり人為的威厳のほうが、はるかに広く存在している。
  ある人間が、相当の地位を占めるとか、相当の資産を所有するとか、相当の肩書きをおびるとかいう事実だけで、たとえその人格的価値は皆無であっても、威厳の後光に飾られる。
  法服や鬘(かつら)がなければ、裁判官たちは、威信の大半を失うにちがいない。
  最も凶暴な社会主義者も、王侯の姿を見れば、感動させられる。
  そして、王侯という肩書がありさえすれば、商人から、何でも望み次第のものを騙(かた)りとることができるのだ。 』

 

なお、社会主義との言葉が出ておりましたが、今回も○○主義などの政治思想などに触れている訳ではないので誤解の無きようお願い致します!

そして、ル・ボンは後天的な人為的威厳とは《 群衆の思い込み 》によって支えられているに過ぎないと指摘します。
一方の先天的な人格的威厳については、

ル・ボン:
『 これを具えている少数の人は、その同輩を含む周囲の人々に、真に磁力のような魅力を及ぼし(中略)仏陀、イエス、マホメット、ジャンヌ・ダルク、ナポレオンのような、人間の偉大な指導者たちは、この型の威厳を高度に備えていた。
  今私があげた人物たちは、世に現れる前、すでにこの魅力を具えていたし、もしこの魅力を具えていなかったならば、世に現れなかったろう。 』

 

ここでも同じく宗教(観)について触れている訳でもありませんし、出て来た名前はあくまでル・ボンの価値判断によるものである事をご理解下さい!

そして、このTOPICSでもお伝えしている大切な点として、

 

《 誰が 》話しているかではなく・・・

《 内容 》がどうなのかに着目する視点が必要で大切・・・

 

と、、、

そして、ル・ボンは教育にも踏み込んでいきます。

ル・ボン:
『 一国の青年にさずけられる教育を見れば、その国の運命を幾分でも予想することができる。
  現代の教育法は、最も暗澹(あんたん)とした予想を裏書きしている。
  (中略)
  それは、教科書の暗誦が知力を発達させると信じこんでいることである。
  判断力、経験、創意、気概などが、人生における成功の条件であって、教科書の中でそれらを学ぶのではない
  教科書とは、辞書のようなものであって、参考の資料とすれば役に立つが、その冗長な断片的知識を頭につめこむのは、全く無用のことである。 』

 

この知識詰め込み型の教育とは私も充分に経験しました(笑)
勿論、このような事の全てが悪いという意味ではありません。
なぜなら、ひらがなや漢字を読めなければ書籍に触れる(読書をする)事も出来ないのも事実だからです。
そして、これも幾度もお伝えしている事ですが、

 

教育とはお互いに育(はぐく)み合うもの

 

です。
これは《 子どもと大人 》の関係に限らず、《 子どもと子ども 》、《 大人と大人 》、《 人間と人間 》、《 人間と動植物等 》など《 幾重にも繋がって重なって 》いきます。