ところで、このTOPICSでは、
自らに隙間(隙魔)を作らないように・・・
と幾度もお伝えしております。
善し悪しはともかく、オリンピックなどではニュース番組でさえ「皆で応援しましょう!」と《 判を押したように連呼する 》光景も見受けられます。
更にネットニュース等では《 過激な見出し 》で人目を引きつける事が日常茶飯事になってしまっています、、、
メデイアに関しては、かつて日本の無謀な戦争に加担した責任がありますが、最近はその反省もどこへやらという《 体たらくや劣化 》が目に余る状態です。
それの最たるものが世論調査での質問の仕方による《 誘導尋問 》であり、あたかもそれが《 多数の声 》と思わせているケースも多々存在しています。
そして前回も触れましたが現在言われている所の反撃能力とは敵基地攻撃能力の事であり、専守防衛との言葉からだんだんと《 引き剥がされて 》いっています。
ちなみに、ある世論調査では、反撃能力の保有に賛成は60%近くにまで及んでいるものもある模様ですが、ロシアでは兵役の(予備)動員を掛けられた事で戦争中止が世論の多くを占めるようになって来ていますが、これも《 「他人事」であったものが「自分事」に変わった危機感 》が要因でしょう、、、
では、話を戻しますが、再び王制が敷かれ始めた1848年にフランス2月革命が勃発しますが、この時は群衆による略奪行為などはほとんど見られませんでした。
それについてル・ボンは、
ル・ボン:
『 低級な本能にしばしば身を任せる群衆は、ときには、高尚な道徳行為の模範を示すこともある。
無私無欲、諦め、架空のまたは現実的な理想への絶対的な献身などが、道徳上の美点であるならば、群衆は、最も聡明な哲人でもめったに到達できなかった程度に、これらの美徳を往々所有するものであるといえる。 』
ところで、あくまで私の個人的な意見ですが、ボランティアもやらないよりはやった方が良いと捉えています。
勿論、全てにおいて《 真の動機 》が関係してくる事と、《 思い・言葉・行動の一貫性を保つのが大切 》とお伝えしている点と相容れないと思われるかもしれません(笑)
ただ、保護猫の活動などでも《 全て 》は無理であっても、《 幾分かは 》役立つ(生命を救う)事に役立っているのも事実でしょう。
中には救われない猫などがいるからといって、全てが救われないからといって行動に移さない(移せない)理由や言い訳にするのは《 本末転倒 》のようにも思えてしまいます。
つまり、よく言われる所の、
出来ない(真の動機では「やりたくない」)理由を探しているだけ・・・
とも言えます。
ただ、最近ではここに《 やってる感 》が加えられてしまっている事で、なかなか見抜くのも難しく感じる方もいらっしゃる事でしょう、、、