では、2つ目の歌はaiko(アイコ)さんの『 カブトムシ 』(作詞:AIKO)から抜粋でお届けしてみます!
『 少し背の高いあなたの耳によせたおでこ
甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし
流れ星ながれる苦しうれし胸の痛み
生涯忘れることはないでしょう
生涯忘れることはないでしょう
(中略)
少しくせのあるあなたの声 耳を傾け
深いやすらぎ酔いしれるあたしはかぶとむし
琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動
生涯忘れることはないでしょう
生涯忘れることはないでしょう 』
『 流れ星ながれる苦しうれし胸の痛み / 琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動 』の箇所では先程と同じように 《 (自己)矛盾!? 》や《 痛快 》とも「繋がって」「重なって」いるかもしれませんが、「(あたしは)かぶとむし」とはいわゆる「擬人化」という表現(法)でもありますね!
そして、この「擬人化」というのは、
自らのシンボルや象徴を知る(探し発見する)際に活用出来る!
との側面があります!
そして、自らのシンボルや象徴とは《 自らを誰かや何かに反映 》させているという意味ですが、このようなシンボルや象徴というのは《 生命ある 》人間も含めた動植物などに限られるものでもありません。
《 これまでの「あなた」 》が自らに擬(なぞら)えていたシンボルや象徴を知る(探し発見する)事によって・・・
《 本来の「あなた」 》が望んでいる自分(あなた)を想い出しやすくなる!
という面に結び付いていきます。
このような事は《 子ども(時代) 》の憧れのヒーローやヒロインなども同じです(笑)
もし・・・仮に・・・何にでも・・・なれる(なる)!・・・という事が可能であるとすれば・・・
《 本来の「あなた」 》は何になりたいのか(なりたかったのか)・・・
、、、《 今から 》でも遅いという事はありません、、、(笑)
ちなみに、敢えて「誰にでもなれる(なる)」とのように「誰に」との視点を用いなかった理由と致しましては、「誰か」に憧れ、「誰か」のやり方などを学ぶ(真似ぶ)のは役立ちますし、それはとても素敵な事ではありますが、《 「誰か」と同化(一体化)するのは時に危険を伴う 》という側面もある事から避けさせて貰いました!
なお、ここでの「危険」という意味は《 「誰か」の歩んだ苦労など 》と同じ道を辿りやすくなるのと同時に、《 自らの軸や芯が育ちにくくなる 》という趣旨になります!