2022年下半期へのメッセージ:後半 ~日々の思い・言葉・行動の実践~

第424回:『 2022年下半期へのメッセージ:後半 ~日々の思い・言葉・行動の実践~ 』
【 参照キーワード:2022年の振り返り、2022年のメッセージ 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!

前回に引き続き、今回の後半に早速入って参りますが、今回は最後の方に締め括りをご用意しておりますので、前回とは「逆」の構成にしております!

 

《 6月18日:満腹感から学ぶ様々な視点 ~満漢全席という美味しんぼメタファー(笑)~ 》

この回では、時折取り上げております私の「好きな」漫画本の「美味しんぼ」メタファー(物語や比喩)として活用致しました。
そして、そのストーリーに擬(なぞら)えて『 満腹感を伴った後には・・・大トロであろうが高級ステーキであろうが・・・どれほど豪華絢爛なものであっても食べられない!!! 』との、ある意味ではとても《 自然に則った 》当たり前の《 実感 》にも触れました。

そして『 ご馳走の本来の意味とは・・・おもてなしの為に食材などを走り回って集めてくる事! 』との《 (語)源 》をご紹介し、

 

『 「行動」から「真の動機」を窺い知る事が出来る・・・逆もまた真なりで・・・「真の動機」がちゃんと「行動」に結び付けられているかを量る目安となる・・・ 』

 

と。

更に、腹八分(目)との言葉を《 膨らませ 》村八分も取り上げました。
そこから、

 

『 満腹(感)と完璧は違う・・・完璧に出来ないからと言って・・・それが何もしない事(不作為)の言い訳にもならない・・・ 』

 

と、この先の今回の締め括りにも通ずる視点をご紹介しておりました。
そして、

 

『 私達は何かに抱(いだ)かれている時・・・

  私達の身の回りに常に溢れているものの中にいる時・・・

  それらに気づき辛くなり・・・

  それらの最たるものが・・・

  感謝・・・(かもしれません(笑)) 』

 

と。

このような視点からは《 倖せとは何ぞや? 》なども生まれて来ますが、特に職場や人間関係などでは《 口をつぐむ 》や《 言葉を飲み込む 》などの経験は誰もがあるかもしれません。

一度発した言葉は引っ込められない 》なども確かにありますし、それが故に発する言葉に慎重になったり、一呼吸落ち着けてから伝えるなどのポジティブな側面にも活用出来ますが、《 飲み込み過ぎていると(ストレス等で)満腹になる 》のは既にお分かりかもしれません。

このストレスなども《 溜める 》と表現されます。

ちなみに《 やってる感 》とは「行動」が伴っていない事であり、「行動」に結び付けられていないのは「思い」が(ほぼ)無い、あるいは「真の動機」が《 別の所 》にあるのが理由の一因です。

 

《 6月25日:更年期障害と腸のヒーリング ~心身両面へのアプローチ~ 》

この回では、ある番組を素材とし更年期(障害や症状)に関して取り上げました。
そして、更年期(障害や症状)を悪化させている幾つかの要因として、周囲の人々の《 偏見や無知や無理解 》にも触れました。

そして、このような事により当事者はドンドン《 孤独 》に追い込まれやすくなるという現状にも、、、

そして、このような事は更年期に限らず、誰もが一度は罹患した事のある風邪などにおいても、

 

『 体が辛い時は心も疲弊する・・・それは(一度は)誰もが経験済みの事でもあり・・・この一度の体験からでも学び取ってしまう(理解する)事は充分に可能である・・・ 』

 

と。

そして、このような辛い時に支えてくれた誰かには《 お互い様 》や《 持ちつ持たれつ 》との表現を交え、《 ありがとう 》という一言で充分である旨もお伝え致しました。

そして、これもある番組からの《 事実 》という素材を交え、

 

『 脳と腸は個別の存在ではなく・・・両者は「繋がって」「重なって」いる!!! 』

 

とご紹介し、《 三位一体 》という言葉から『 脳にも右脳と左脳があり・・・今回では脳と腸との相関関係があり・・・ 』という点に触れ、

 

『 右脳と左脳・・・脳と腸・・・ここに当てはまるもう一つ(の存在)とは・・・それが私達の意識!!! 』

 

と。

特にここ数年のTOPICSでは《 自分事 》と《 他人事 》という視点も頻繁に取り上げて来ておりますが、ここでも《 判断する 》という《 第三(者)的な存在 》があってこそ可能になります。
そして、判断する事と《 裁く事 》は違います

また、昨今のSNS等での問題であったり、時には事件にまで発展してしまう《 誹謗中傷(をする人) 》のほとんどが、出来事とは全く関係の無い《 第三者 》でもあります。
《 第三者(的な存在) 》とは一言で申しましても、また、一見すると《 共通 》に思えるかもしれませんが、その《 本質 》は全く違います。

 

違いに「気づく」には自らで「知る(調べる)」「考る」、そして分からない事があれば誰かに「聞く(教えて貰う)」などの《 行動 》に結び付ける事が大切で必要になります。
先程の「口をつぐむ」や「言葉を飲み込む」などの一面には《 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 》という側面も「同時に」存在しております。

ちなみに、ここでの「恥」とは、知らない事などを恥じるという事では全くなく、《 行動 》に移せていない《 自らを恥じる 》という意味になります。
そして、ここでのポイントは《 謙虚 》という事になります。