親から子ども眺めると・・・いつまでも子どもは子どもであり・・・
子どもから親を眺めると・・・いつまでも親は親であり・・・
兄や姉から次男や次女を眺めると・・・いつまでも次男や次女であり・・・
次男や次女から兄や姉を眺めると・・・つまでも兄や姉であり・・・
という事になりますが、このような事が悪い訳でも全くありません。
ただ、親子でも兄弟姉妹でも仲間でも、更にその他のあらゆる人間関係におきましても、
関係性を媒介したり・・・維持したり・・・解消したり・・・
そして発展させていくのも・・・
「感情」が大いに関係している!
というのは大切な視点になります。
つまり、
ある一定年齢を経過した後には・・・
今までの親子という関係性・・・
今までの兄弟姉妹という関係性・・・
今までの仲間という関係性・・・
そこに相互に「人間性」という視点が加わってくる!
という事に「気づく」という事です。
そして、先程は『 「感情」が大いに関係している・・・ 』とお伝え致しましたが、
「人間性」という視点が欠け過ぎたり・・・
「感情」が行き過ぎたりすると・・・
親は子どもを過保護に扱うようになり・・・
子どもは親にいつまでも依存するようになり・・・
兄弟姉妹ではお互いの人生に対する嫉妬に繋がるようになり・・・
という方向に進みやすくなる怖れも出て来ます。
そして、
子どもは親の影響を受けて育ち・・・
親はそのまた親の影響を受けて育ち・・・
更に兄弟姉妹は子ども同士での影響も受けて育ち・・・
というのが自然な流れにもなりますが、
私達は誰もが・・・
ある一定年齢を経過して行くにつれて・・・
自我(個性)の成長という関係から・・・
悩みや葛藤や抵抗を生みやすくもなる・・・
という事も、これもまたある意味では自然な事でもあります。
簡単に表現すると「価値観の相違」とも言えますが、ここには善悪や正誤や是非というのは本来は存在しません。
ただ、冒頭における殺傷事件であったり、虐待やDV(家庭内暴力)などが存在しているのも事実です。
このような場合には、
親子であっても・・・
兄弟姉妹であっても・・・
あるいは親戚親類関係であっても・・・
距離を置いて構わない・・・
という事になります。
これを表している言葉が、