人の愚かさが極まるとは・・・ ~戦争そして第五福竜丸事件(ビキニ事件)以外にも~

そこで、視点を少し変えてみますが、また、これは私の自慢話などでは全くありませんが、私は二浪しておりますが、その二浪目の時には日本史の教科書から用語集、その他の参考書籍も含め、ほぼ全てを暗記していました。
しかし、今回の第五福竜丸事件は知っておりましたが、それ以外の実状は今回の映画で初めて知りました

と言いますのも、当時の受験におきましても、私立大学は多少別ではありますが、概ねの大学受験で用いる問題というのは教科書に掲載されている範囲から作成するようになっておりました。
そして、教科書検定という制度もありますが、これは学校教育法により民間の教科書発行者が作成したものについては、文部科学大臣が教科書として適正かどうか審査し、合格したものだけが教科書として使用する事を認める制度です。

 

つまり、国や政府にとって不都合な事実や出来事は、この制度の活用如何によっては無かった事にされてしまうケースが出てくる事を意味しています。
現に、ここ数年では、この教科書検定に際し様々な制約などが課され続けて来ています。
まるで《 臭いものに蓋をする 》かのように、、、

例えば、朝鮮半島出身の方々への強制連行などの言葉が制約を受けたり、韓国との間にある従軍慰安婦に関する問題も然りです。
そして、日本の教科書においても、第五福竜丸事件以外の実態が掲載されていないというのは、痛くない腹、、、ではなく、、、痛い腹を探られたくない、、、というのは先程の【 日本交換公文 】の内容からもお分かり頂けるかと思います。

そして、このような事を繰り返し続けていると、いつしか、、、

 

声なき声・・・

 

と呼ばれるものに「体現」されていってしまいます。
そして、戦争とは、

 

100%・・・人が引き起こしているものであるからこそ・・・

100%・・・人が防ぐ(回避する)事も出来るし・・・

100%・・・人がすぐにでも止める(止めさせる)事が出来る・・・

 

というものです。
そして、

 

外交の失敗が戦争であり・・・

たった一人でも犠牲者が出れば・・・

それは全てが失敗という事・・・

 

というのが「従来」のものではありましたが、もはや、今回はロシアの一方的に過ぎる感もかなり見受けられる中、それでも、

 

たった一人の犠牲者が出れば・・・

それは大失敗という事であり・・・

そこには兵士や軍人も含まれる・・・

 

という事です。
敢えて「(大)失敗」との不適切で不謹慎極まりない表現を用いましたが、その理由として、

 

一人の命の重さ・・・

いえいえ・・・

軽い・・・重い・・・などの問題では全くなく・・・

存在という価値・・・

 

を考えて頂ければとの思いからの表現です。
それは今回のような国家同士の戦争に限らず、内戦等でも全く同じ事です。

また、ここで敢えて魂の視点を当てはめますが、このような視点も不適切で不謹慎とのご意見やご感想もある事と思われますが、果たして、