そして、この映画では、数少ない存命の方々へのインタビューなどを通して、真相や実状に迫っていきますが、ピックアップしていくと以下のようなものがあります。
○ 事件から35年近く経った1989年においても、残骸のまま放置されていた当時の他の船体からも放射能が測定された。
○ 放射能の被害を被ったのは今回映画で紹介された船と乗組員に留まらず、実際には多くの他の船と乗組員の方々も被害に遭っており、それは漁船に限らず貨物船なども含まれている。
○ 当時の乗組員の多くの方々が主にガンで早世されており、その人数はかなりの数に昇る。
○ 当時は風評被害や偏見を怖れて何も声を上げられなかった。
なぜなら、事実や真実を口に出すと船に乗れなくなる(仕事が出来なくなる)から。
○ 慰謝料の分配も主に船体(船主)に対して行われており、書類上は乗組員にも分配される事になっていたが、実際には乗組員には(ほぼ)分配がなされず、分配された場合でも第五福竜丸や他の一部の船の乗組員だけに限定されていた。
○ 東日本大震災における福島の原発事故とは違い、当時は何も無かったかのように葬り去られていた。
そして、この映画の上映当時、高知県太平洋核実験被災支援センターで活動を行っていた山下正寿さん(当時67歳)は、この調査を始めた頃は40歳の時からで、その時は高校の教師をされておりましたが、次のようにお話されております。
『 船員の体の苦しさから(被爆した事を)証明せざるを得ない。
それを(多くの人に)分かってほしい。
(被爆者が)無念な思いをしたという事が、知られていないという事が悔しい。
船員の死が無駄になる。
誰にも知られずに訳の分からない形で死ぬという事じゃなく、ちゃんと(被爆の)原因があって、だったらその原因を除けて(解明して)くれ。
そしたら苦しみが無駄にならない。
最低それくらいの事はしないといけない。 』
更に、調査開始当時の山下さんの思いとしては次のようにお話しされております。
『 人の問題ですからね、漁船員。
救済をどこもしないですからね。
誰かがやらなきゃいけない事ですよね。
しかも、曲がりなりにも(自分は)社会科の教員でしたから、こんな巨大な事件が現代史から全体像が明らかにされないままに埋没するなんて事は、これは日本人の資質を問われますね。
本当にこんな事が赦される日本の国という事は、あってはならない。 』
そして、被爆した船の船長の妻の方が次のようにお話されております。
『 発表してる(福島原発事故の)記者会見でも、私達が知りたい事と彼らが言っている事とは違っていると私は思う。
私達がいくら(ビキニ事件の)話をしても(誰にも)知られていない事だから。
いつの時代にも弱いものにしわ寄せがくる。
いつの時代も一緒、、、 』
では、この映画からのご紹介はここで終了ですが、ちなみに、この映画は続編も製作されております。
そして、今回は核(兵器)に焦点を当てているように感じられたかもしれませんが、核兵器そのものは「手段」であって「目的」ではない事からも、その先に「繋がって」「重なって」いく戦争自体を絶対にしてはいけない事はお分かり頂けるかと思います。
また、殺傷に使われる武器の類いにおいても、本来は核兵器であろうと何であろうと違いは無いという事も。