先日、私が親しくさせて頂いている知人の方から、羽化直前の1羽のキアゲハの蛹(サナギ)と、羽化直前の一歩前の状態(前蛹)にある、幼虫の姿をした1羽のナミアゲハの蛹を頂きました。
ちなみに、私も詳しくはありませんが、幼虫の姿の蛹(前蛹)が脱皮のように一皮むけた後に、羽化直前の蛹へと変化(変態)していき、チョウとして羽ばたいていきます。
この羽化直前の蛹の姿は私の目にはバルタン星人の輪郭にソックリ!!!と映っております(笑)
話が逸れましたが、このようにチョウになるまでは幾度もの変化(変態)を経由していきますが、キアゲハの方は頂いてからものの数日の内に見事なチョウになり巣立って行きました!
しかし、もう1羽のナミアゲハの蛹は、間もなく一皮むけてバルタン星人のような最後の蛹に変化(変態)しても、気温などの関係なのか、なかなか羽化する兆候も見せずにおりました。
そのような間に、更に羽化直前状態のナミアゲハの蛹を2羽頂きました!
そして、それから数日後、私が朝起きると、まるでこの3羽が示し合わせた!?連絡を取り合っていた!?かのように、同日に見事に3羽ともチョウへと成長(変態)しておりました(笑)
そして、この3羽も無事に大空へ飛び立って行きました!
では、チョウに関する私の「直接(的)」体験談はここ迄に致しまして、全卓樹 氏の同じ著作から少しだけ引用の上ご紹介して参ります!
《 生命編 第21夜 銀河を渡る蝶 》より引用(中略等を含む)
『 安西冬衛に次の一行詩がある。
てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた
一読して忘れがたい極北の幻想風景である。
ところが現実は詩人の霊感よりさらに奇である。
おそらく彼は、モナーク蝶の話を聞き及んではいなかったのだろう。
カナダからメキシコまでを渡って生きる大型の蝶のことである。
この蝶の生態に関して信じがたいところは、渡りが世代を継いで行なわれることである。
北の大地に生まれたモナーク蝶は、晩夏になると数百羽数千羽の群れをなして南を目指す。
秋風に波立つ五大湖を越え、果てしないプレーリーを越え、メキシコ湾を越え、サボテンの成るサポテカを越えて総計4000㎞を、蝶の生涯のほとんどにあたる一月ほどかけて渡った末、メキシコ西南部ミチョアカンの山里に達して産卵を行なう(高知から東京までの5倍である!)。
そしてこの地で生まれた次の世代が、さなぎになり越冬して、春の訪れとともに今度は涼やかな北の草原を目指す。
なんらかの困難があるのか、この北帰行(ほっきこう)は実に3世代をかけて行なわれる。
アメリカ合衆国で途中2回産卵し、その数を半分に減らしながらカナダの祖先の地に戻るのは、南へ向かった蝶たちの曾孫(ひまご)の世代なのである。
現実の事象の偶発的な時間順序を無視すれば、こう言うこともできるだろう。
安西冬衛が夢幻の中で予感した「海峡を渡る蝶」という観念が、何十万年を遡ってアメリカの地で、一匹の蝶の冒険心を呼び起こし、世代を超えて大陸を渡る蝶という姿に具現化したのだ、と。
そもそも蝶は、近所を飛び回るだけのために、あんな大きな華麗な翅(はね)をもって生まれたのだろうか。 』
全卓樹 氏も詩的な表現を交えて解説してくれておりますが、一端、私自身の先ほどの「直接(的)」体験談に戻ります(笑)