アリ(蟻)とチョウ(蝶)との「比較」から人間を考えてみる(笑)

《 生命編 第19夜 アリたちの晴朗な世界 》より引用(中略等を含む)

『 人間は生物界の長をもって任じている。
  人間は地上の動物のバイオマス(生物量)の30%あまりを占め、脊椎動物界の食物連鎖の頂点に立っているので、その自任は根拠なしとはしない。
  人間をのぞいては、農業を行ない牧畜を行ない、王国を共和国をそして大帝国を築く生物などいないではないか。

  しかしはたしてそれは本当だろうか

  世を広く見渡すと、実は意外なところに、人間以外で農業を行ない牧畜を行なう生物が、王国を共和国をそして大帝国を築く生物がいる。

  それはアリである 』

 

と、このように人間とアリを「比較」した視点が紹介されていきますが、先を続けて参ります!

 

『 アリはまずもって数が多い。
  個体あたりで人間の何十万分の一しかない軽さながら、バイオマスとしては人間に匹敵するほどとも言われている。
  つまり重さで量って地上の総動物資源の3割ほどを占めるのである。
  昆虫界でもこれは異例の多さである。

  アリの長所はその特異な賢さである。
  それは集団としての賢さ、個体間の協力から生まれる「社会的な知性」であり、そのためにアリは驚くほど精緻に組織された社会をもつ。
  個体が協力して集団で狩猟を行なう動物は少なくない。

  しかし農業を行なうほどに社会的組織を発展させた生物は、アリと、そしてわれわれ人間だけである。
  この社会的知性ゆえに、アリは地上のあらゆる環境に適合し栄えて、それで数が多いのである。 』

 

と、このように「比較」を用いる事で人間とアリとの「共通点(重なり)」も自然と炙り出されていきますが、更に先を続けて参ります!
ちなみに、私の家の中の環境には適合して欲しくないのが偽らざる本心です(笑)

 

『 農業を行なう「ハキリアリ」の例を見てみよう。
  一匹の女王の下、すべて遺伝的クローンであるその娘たちが働いて、巣の中にキノコを栽培して暮らしているのであるが、その社会は高度な職能に分かれた厳格な分業制である。

  ノコギリのような大きな顎をもった葉切り職人、切り落とされた葉を巣までリレー式に運ぶ運搬職、持ち込まれた葉をキノコに与えて育てる園芸家、病原菌がいないか絶えずキノコの状態をチェックしている検査技師、そして最も大切なお役目の次世代育成役、すなわち卵や幼虫の世話をする職能まで、どれも一目でわかるくらい個体の形態や大きさが異なる

 

外敵から巣を守る国防軍まである。
  戦闘職の個体は屈強で、検査技師の個体の5倍ほどの大きさをもつ。
  幼虫段階もしくは卵の段階で、いかなる方法なのかいまだ不明ながら、職能に応じて形態分化する
  職能はカーストなのである。
  カーストごとに脳の大きさや解剖学的構造まで異なる。

  脳だって?
  アリに脳があったのか。
  アリは頭を落としても生きているとファーブル昆虫記で読まなかっただろうか。 』

 

「遺伝的クローン」などの言葉も出て参りましたが、《 ファーブル昆虫記 》は私は読んだ記憶はありませんが、これはジャン・アンリ・ファーブル(1823年~1915年)の著作であり、1878年から1907年に掛けて計10巻が出版されたそうです。
この時代には先ほどの「遺伝的クローン」などの技術は「夢の又夢」であり、そのような「発想」すらなかったのかもしれませんが、ファーブルは『 アリは頭を落としても生きている 』と「観察」で知ったのかもしれませんし、他の昆虫との「比較」で「気づいた」のかもしれません。
なお、カーストとはインドで見られる身分・階層(階級)制度の事です。

ちなみに、「人間の頭(を落とすと死んでしまう)」という「比較」では、当時の医学などを持ち出すまでもなく、それまでも繰り返され続けて来ている戦争などの「観察(経験)」で既に「人間」は「気づいて」いた事でしょう、、、
では、気を取り直して!?更に進めて参りましょう!