【 小さき未熟を受け入れる 】
悪人正機説から、他力本願の視点を活用すると、
私達の誰もが、小さき未熟な存在
という面が炙り出されます。
そして、
全ての変化(という成長)の源には・・・
現状を認識する(ひとまず受け入れる)・・・
という「姿勢」が出発点になります。

故に、『 小さき未熟な存在 』の意味は、自己嫌悪や罪悪感、はたまた、自己憐憫とも全く違います!!!
そして、本年最初のTOPICS『 2021年のキーワード「噴」&「明」 ~「自己矛盾」の活用も~ 』では、「明」の視点を変化させ、
「諦(あきら)める」の「(語)源」は、「明らかに」究める
と伝えました。
これも『 現状を認識する(ひとまず受け入れる) 』と同じ意味です。
【 どちらも自分が関係する 】
そして、自力本願にせよ、他力本願にせよ、
自力本願では、何が「自分」に出来るのか???(故に、自分に出来る事を見極め、行動に移す)
他力本願では、何が「自分」に足りないのか???(故に、他の人に協力を仰げる部分を見極め、お願いする)
という風に、どちらを活用するにせよ、
「自分」を知る(自分を明らかに究める)
という事が必須になります!

この事から、同じく自力本願にせよ、他力本願にせよ、
「(過度な)二者択一」という問題ではない!!!
という点に行き着きます!
【 受け取るのも自分自身 】
そして、仮に全てを自力本願で取り組むにせよ、
自分一人の力だけでは、限界を生じる(制限が掛かる)
のも事実であり真実です。
また、仮に全てを他力本願で取り組むにせよ、
他の人や何かに全てを委ねる事は、至難の業
です。

なぜなら、
反映(という結果)を受け取るのは「自分自身」であり・・・
反映(という結果)を誰かや何かの責任にする事は、可能と言えば可能だが・・・
結局は、反映(という結果)を「経験」するのは、「自分自身」だから・・・
という事です!