皆さんは、ここまで目を通して頂いて、どのようなご感想やご意見を抱かれた事でしょうか、、、
「他人事」と捉えたでしょうか、、、
ほんの僅かであっても、「自分事」と捉えたでしょうか、、、
どのような捉え方であっても、どのようなご感想やご意見を持たれても、それは全くの自由ですので大丈夫です。
なぜなら、
何かを捉えてみた時に・・・
何かの感想や意見が湧く・・・
これらは・・・
「考えている(考えた)」事の証だから・・・
です。
そして、そのような今回のテーマでもありますので、この先に私が多くを語るのも必要ないかとも思われますが、最初に『 ここからご紹介する内容におきましては、キリスト教などの宗教に限られるものではなく、残念ながら社会の様々な側面で散見される出来事でもありますので、その点を充分に考慮頂いた上で読み進めてみて下さい。 』とお伝えした視点に少しだけ触れされて頂きます。
今回の神父による子ども達への性的虐待のケースだけでもお分かりのように、この「本質」にあるのは、
「主従」や「優劣」という誤った視点の元での・・・
「社会的」に弱い(と、されてしまっている)立場・・・
という点に行き着きます。
そして、このような誤った視点が「反映」されがちになる状況や環境というのは、教育現場、医療現場、介護現場などでも起こりがちにもなります。
そして、この「本質」の「源」は、
イジメや各種ハラスメント等(DVなども含め)と「同根」
でもあります。
ちなみに、ここでの「同根」とは「度を超した欲望」であり、この「度を超した欲望」を掘り下げていくと、必ず「怖れ(という感情)」に辿り着きます。
これらは、職場や家庭内、そして、幅広く眺めると地域や社会、そして、世界的規模にまで「反映」されているのが残念な実情です。
そして、これらの「本質」や「源」や「同根」の原因や理由となっているもの、それが、
コミュニケーションと想像力の欠如(拒否や無視)
です。
そして、先ほど『 「社会的」に弱い(と、されてしまっている)立場・・・ 』とコメント致しましたが、
そのような「社会(的)」を創り上げているのは・・・
「私(瀬川)」でもあり・・・
「あなた」でもある・・・
というのも「事実」です。
そして、