聖職(者)とは何か・・・ ~性的虐待事例を含め~:主従や優劣という誤った視点

コミュニケーションの欠如(拒否や無視)とは・・・

「人(自分)」と「人(他の人)」との「分断(分離)」であり・・・

想像力の欠如(拒否や無視)とは・・・

「自分(外面)」と「自分自身(内面)」との「分断(分離)」である・・・

 

というのが「真実」です。
そして、今回の素材として取り上げた、神父という聖職(者)と称されている者の子ども達への(性的)虐待は、先ほどのAさんの『 (司祭は)絶対的な存在でした。 』とのコメントにも現れているように、繰り返しですが、誤った「主従」や「優劣」が元になっており、そこに「コミュニケーションの欠如(拒否や無視)」が生まれてしまいました。

 

そして、Cさんの『 現在もその時の恐怖がよみがえり、日常生活に支障を来しています。 』とのコメント、また、Aさんの『 私達はこんな苦しい思いを他の世代、今の子ども達には二度と味あわせたくありませんので、、、 』とのコメントでは、この(性的)虐待を行った神父は、当事者の人生に対する「想像力の欠如(拒否や無視)」が大いなる原因となっております。
そして、詰まる所、

 

コミュニケーションと想像力の欠如(拒否や無視)は・・・

「無関心」を生み出し(装い始め)・・・

全てを「他人事」として捉え始め・・・

次第に「自己」と「他者」での「分断(分離)」に行き着き・・・

 

最終的には・・・

「自分自身」の中で「分断(分離)」が起こってしまう・・・

 

という帰結に陥ります。
そして、

 

これらが「繋がって」「重なって」いくと・・・

重大かつネガティブな側面における・・・

「自己矛盾」となって現れてくる・・・

 

という事になってしまいます。
そして、『 そのような「社会(的)」を創り上げているのは・・・「私(瀬川)」でもあり・・・「あなた」でもある・・・ 』という事から、

 

聖職とは・・・

「生きる(日常生活を含め)」という事であり・・・

聖職者とは・・・

「私達自身(の「思い・言葉・行動)」の事である・・・

 

という事になります。
そして、これらの「反映」を更に広げていくと、「人類(人間)」と「動物や植物」、あるいは「人類(人間)」と「自然環境(地球)」との関係におきましても、「主従」や「優劣」などの誤った視点が「分断(分離)」を生み出している事にも「気づける」事と思います、、、

 

ちなみに、性的被害などに関連するテーマと致しましては、2023年1月28日の第443回目のTOPICS『 帰属意識の活用法 ~性暴力等からの回復や魂の視点も含め~ 』、2022年9月24日の第426回目のTOPICS『 真の動機が問われるとは ~(人工妊娠)中絶と精子提供(精子取引)から~ 』、2018年7月28日の第212回目のTOPICS『 話しづらいお悩みの一つである性(行為)について 』などもございますので、宜しければ参考になさってみて下さい。

 

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