聖職(者)とは何か・・・ ~性的虐待事例を含め~:主従や優劣という誤った視点

【 分断(分離)を生じさせない為に 】

そして、

 

コミュニケーションの欠如(拒否や無視)とは・・・

「人(自分)」と「人(他の人)」との「分断(分離)」であり・・・

 

想像力の欠如(拒否や無視)とは・・・

「自分(外面)」と「自分自身(内面)」との「分断(分離)」である・・・

 

のが事実であり真実です。

 

 

そして、Aさんの『 (司祭は)絶対的な存在でした。 』とのコメントのように、誤った「主従」や「優劣」が元で、そこに「コミュニケーションの欠如(拒否や無視)」が生まれました、、、

 

そして、Cさんの『 現在もその時の恐怖がよみがえり、日常生活に支障を来しています。 』とのコメント、、、

また、Aさんの『 私達はこんな苦しい思いを他の世代、今の子ども達には二度と味あわせたくありませんので、、、 』とのコメント、、、

 

ここには、性的虐待をした神父の、

 

(被害)当事者の人生に対する、想像力の欠如(拒否や無視)

 

大いなる原因す、、、

 

 

そして、詰まる所、コミュニケーションと想像力の欠如(拒否や無視)は、

 

「無関心」を生み出し(装い始め)・・・

全てを「他人事」として捉え始め・・・

次第に「自己」と「他者」の「分断(分離)」に行き着き・・・

 

最終的に、「自分自身」の中で「分断(分離)」が起こる・・・

 

という「帰結」に陥ります、、、

 

 

そして、

 

これらが「繋がって」「重なって」いくと・・・

重大、かつ、ネガティブな「自己矛盾」となって現れる・・・

 

という事です、、、

 

そして、同じく『 そのような「社会(的)」を創り上げているのは、「私(瀬川)」であり、「あなた」である 』という事実から、

 

聖職とは、「(日常生活を含め)生きる事」であり・・・

聖職者とは、「私達自身(私達の「思い・言葉・行動)」である・・・

 

という事です!!!

 

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