聖職(者)とは何か・・・ ~性的虐待事例を含め~:主従や優劣という誤った視点

2019年11月、ローマ教皇フランシスコが38年ぶりに来日しました。
Bさんはこの時、教皇に宛てた手紙をバチカン市国の日本大使館に投函しました。
そして、来日したローマ教皇が乗った車列を迎える際に、次のようなプラカードを掲げました。

 

《 日本にもカトリック神父による性的虐待被害者はいます。

  日本カトリック教会はローマ法皇に真実を公表してください。 》

 

そして、Bさんはインタビューに次のように答えます。

Bさん:
『 やはり、もう、胸を張って死んで、そして神の前に立つには、やはり今、こう言うしかないと、自分では覚悟を決めて告発しています。 』

 

Bさんは両親が離婚し、カトリック系の児童養護施設に預けられておりましたが、小学4年の時に性的虐待を受けたそうです。
その当時のBさんは体も小さく、イジメられていた悩みを、あるドイツ人神父に打ち明けた事がキッカケになったと、次のように話しておりました。

Bさん:
『 「よかったらもう少し話を聞くから、部屋に来ないか」と言われ、殴る蹴るの暴力を受けていたので、服を脱いで傷を見せてたんですね。

  傷を労(いたわ)るようにしてたんですけど、だんだんと性的な事に及んで来たという事なんですね。 』

 

そして、このような児童養護施設においては、神父は親代わりのような存在でもあり、性的行為がエスカレートしても拒む事は出来ず、毎週のように神父の部屋に呼ばれるようになったそうです。

Bさん:
『 およそ、ほとんどの事はされた、、、

  神父の性器を握らされたりとか、ただ、それ以外にも、ミサが終わった後に礼服の中にですね、ポケットがあるのでそこに手を入れさせられて、握らされた事もあります。

  終わった後も「誰にも言わないように。 言うと地獄に落ちるよ。」と言われました。 』

 

そして、半年ほど経過した頃、他の修道士がそれに気づき、神父の部屋に行かないように言われ、他にも性的虐待をされたという子ども達が現れ、その神父は別の施設に異動させられました。

そして、その後のBさんは、中学卒業と共にその施設を退所し、親戚の家に引き取られ、21歳で就職、31歳の時に結婚し、子どもも授かりましたが、職場でも家族にも、本当の事は話せなかったそうです。
そして、その後も思いがけない時に、当時の記憶がよみがえる事もあったそうです。

Bさん:
『 お風呂に入れる時に、子どもの体を洗おうとしたら、フラッシュバックが起きてですね、心も体も感覚も、全てが当時に戻っちゃうんですよね。

  自分がその当時そういう事をされてた、その瞬間に戻ってしまって、何も出来ない、ワァーっと叫ぶぐらい(しか出来ない)ですかね、、、 』

 

そして、Bさんが声を上げるキッカケとなったのが、アメリカのボストングローブ紙の調査報道でした。
この紙面では、数十人の神父により、30年以上に渡って、130人以上の子どもに性的虐待が行われていたとの報道がなされました。
さらに、カトリック教会が長年、その事実を隠蔽し続けていた事も明らかになりました。
そして、これらの事により、Bさんは日本カトリック司教協議会に事実を訴える事にしました。

Bさん:
『 やはり日本でもね、同じ事があるから、この事をやはり訴えなきゃならないと思って、カトリック教会に対して手紙を書きました。

  私以外にも被害者がいるはずだから、きちんと調査をして欲しいと。 』

 

そして、その手紙に対しBさんに返事が来ましたが、