もしコロナ禍にヒトラー(のような存在)が現れたら ~嗅覚を磨く~

『 父は全くの《 別人 》になっていました。
  元はユーモアに満ち、冗談を言う人で、ポジティブな思考のドイツ国家主義者でした。

  すっかり《 萎縮 》し、髪は刈られ、威厳のある口ひげも剃られていました。
  何より《 精神的に破壊 》されていました。

  《 言葉 》も発せず、強制収容所での様子を聞いても《 答えて 》くれません。
  《 批判 》の言葉もありません。
  すっかり《 内向的 》になっていました。

  彼にとって《 一つの世界が崩壊 》したのでしょう。
  その1年後に父は亡くなりましたが、私の知る限り、ただの一度も《 家を出ません 》でした。 』

 

(このように父を廃人のようにされてしまった彼ですが、ヒトラーに対する思いに変化は無かったのか?と問われ)
『 私の家族の運命。
  特にユダヤ人である父への扱いが理由で、私がナチスに対して敵愾心を抱いたと想像されているようですが、それを私は《 認める 》事が出来ません。

  父が連行されたのは、何かの《 間違い 》だったと私は《 考え 》ました。

  実際、父は4週間で戻って来ました。
  これで間違いが解消されたと私は《 思い込み 》ました。

  私の嘆願書の効果だという《 思い込み 》です。
  ナチスに対しては、何の《 疑問 》も抱きませんでした。 』

 

これは今で表現される所の「分断」にも「繋がって」「重なって」いるのかもしれません、、、

では、内容が内容だけに、重苦しく、またお疲れになったかもしれませんね(笑)
そこで、少し切り替えまして、私の体験談をお伝え致します!

 

私の母が病院で亡くなった時、タクシー業者にお願いして病院から自宅まで母(の遺体)を私と共に一緒に連れて帰って貰いました。
そして、運転手の方が私の気を紛らわそう?かどうかは分かりませんが、気遣ってくれて雑談などをしてくれました。

その時は東日本大震災の翌年だった事もあり、道中ではその話題も出ました。
その運転手の方は、被災されたご遺体搬送の応援という事で被災地に出向いたそうですが、TVニュースなどではご遺体のある箇所の目印として旗が立てられている映像は自粛されておりましたが、次のように話しておりました。

 

運転手の方:
『 とにかく「臭い」が凄(すさ)まじかった・・・

  ニュースなどの映像では到底伝わらない・・・

  その時の「臭い」は体験しないと分からない・・・ 』

 

と。
では、内容を更に「証言」に戻します!

先ほどの父親を強制収容所に送られた彼は空軍のパイロットになっていましたが、その時にヒトラーに「疑問」を持つ出来事があったそうです。
それは、ヒトラーは相手(敵)国の女性や子どもは巻き込まないと「口」では言いながら、実際はそうではなかった、という点でした。
なぜなら、彼自身が空爆を行ったものであり、その時の事を次のように語っています。