もしコロナ禍にヒトラー(のような存在)が現れたら ~嗅覚を磨く~

○(当時の敗戦間近の状況を問われた男性)
『 果たして彼(ヒトラー)は本当に《 不可侵 》なのだろうかという《 問い 》は、全く頭に浮かびませんでした。
  《 考えたならば 》、私達のヒトラー像は《 揺らいだ 》でしょう。
  でも、ヒトラーは《 テーマ 》になりませんでした。 』

 

○(ある男性)
『 《 憎悪 》の念が膨らみました。 イギリスとアメリカへの《 敵意 》。

  ああも《 人間 》を破壊し尽くすのかと。 』

 

(そして、ヒトラーやナチスに対する疑問を問われ)
『 ありませんでした。 逆に「この戦争は勝たねばならない」という思いが強くなりました。
  《 他の選択 》はありません。 「総統が命じ、我々は従う」のです。 』

 

そして、1945年1月30日、ヒトラーはラジオでの最後の演説を終え、その3ケ月後に自らで拳銃自殺をし、その1週間後にドイツは降伏となりました。

 

○(降伏後に強制収容所の映像を見せられた男性)
『 彼ら(アメリカ)がこの映像を私達に見せたのは、「おお、私達はナチスの元でこのような事をしてしまったのか!」そう《 理解させ学ばせる 》為だったでしょう。
  だが、私にはそのように《 考えた 》記憶がありません 』

 

(なぜ、そのような記憶が無いのか?と問われ)
『 当時は《 自分の事 》として《 考えなかった 》のです。
  「お前達が自ら選んだ政権により行われた事だ。 従ってお前達にも責任がある。」という《 理解 》をする事も出来たはずです。

  それが《 本来のメッセージ 》ですが、全く(自分には)《届かなかった》。
  「酷い映像だ、以上」(それだけ)。 』

 

では、ここまで「時の経過」と共に見てきましたが、この間にも、ある出来事が発生していました。

それは、「証言」の一番最初に登場しました、18歳の時にナチスの党大会に参加した男性ですが、彼は海のヒトラー・ユーゲントの一員でした。
彼が16歳の時に仲間から突然に「ユダヤ野郎」と罵られる出来事が起こりました。

それを父に聞いた所、最終的に自分は養子である事が判明し、自分はユダヤ人でない事は分かりましたが、彼の家族で父だけがユダヤ人の血を引いている事が分かりました。
が、しかし、その父もヒトラーを支持する愛国主義者でした。

 

その後、彼は労働奉仕団に所属し、その代表として、一番最初の「証言」に出てきた党大会への参加に選抜される事となりました。
なぜなら、彼は身長が高く、金髪で、青い目の持ち主という、ヒトラーの考える「理想のドイツ人」の「外見(見た目)」だったからです。
そして、この時の経験について彼は次のように述べています。

 

『 18歳の《 若者 》にとっては鳥肌が立つ経験でした。
  全ての《 雰囲気 》が鳥肌ものでした。

  音楽で例えるならベートーヴェンの第9交響曲の《 終楽章 》のようでした。
  とにかく《 素晴らしい 》経験でした。

  世界に冠たる“ 大ドイツ ”の《 一部 》に自分もなれたと思いました。 』

 

しかし、ここ迄の流れというのは、ヒトラーが国民をコントロールする為の手段でした。その後、彼は徴兵され空軍に入隊しましたが、一方で彼の父は強制収容所に送られる事になってしまいます。
そこで彼は嘆願書を送り、1ケ月後に父は強制収容所から戻ってきましたが、その時の事を以下のように述べております。