それは、
子どもは親を選んで産まれてくる・・・
そこには・・・
この親なら「安心して」自分の学びが出来る!
という魂の視点からの「信頼」が存在し、それと同時に、
子どもが選んだ学びを・・・
親自身の魂の視点でも「同意」している・・・
という事があります。
この視点により、
親としては・・・
どうして我が子が・・・
どうして私(達)の家だけが・・・
とのスパイラルに陥るのを防いでくれる事になります。
そして、子どもは大人という「人(間)」に成長していきますが、そして、先ほどの「卑屈にならない」事の繋がりとしても、
いわゆる「普通」と言われる人々では・・・
世の中や社会の振動数(波動)の乱れを感じ取る事が出来ず・・・
その乱れの原因や理由から「目を逸らして(無関心で)」いるが故に・・・
「鈍感」になり過ぎている・・・
のが現状における事実です。
それに対し、「敏感」であるという事は、陰にも陽にも「気づける」ように光を当ててくれているという役割をお持ちの方々でもあります。
このような「学びや役割」という表現をすると、誤解を生むのも承知の上ですし、(辛く苦しい思いをされている)障がいやご気をそのように捉える事に非難が出るお気持ちも分かりますし、ましてや、運命論などと言うものでもありません。
ただ、繰り返しになりますが、
変えていける(可能性のある)もの
でもあるからです。
勿論、産まれつきの先天性の場合や、後発的な障がいなどの場合でも、中には、「充分に満足出来る」迄には変えていく事が難しいケースが実際に存在するのも承知の上です。
ただ、
「生き辛い」と感じるものは・・・
世の中や社会の一人一人が・・・
思いやりや・・・想像力や・・・考えるという事で・・・
必ず「変化を遂げる(状況や環境を変えていける)」事が可能なもの・・・
でもあるからです。
そして、このような世の中や社会に対する「特効薬」というものはありません。
やはり、