AI(人工知能)から考える・・・自分という私達 ~シンギュラリティ問題も含め~ 

『 確かにAI(人工知能)の「情報処理能力」には「人間」では及ばないのかもしれないけど・・・

  それが賢さの「特徴」なのだろうか・・・?

  解を導くのも賢さであるならば・・・

  発達障がいなどの場合であっても、時間は多少掛かるにせよ、解を導く事は出来ているのだし・・・

  そもそも「情報処理能力」も人それぞれ千差万別だしなぁ~・・・ 』

 

ちなみに、前回のTOPICSでも少し触れましたが、アポロ11号の月面着陸をサポートしていたコンピュ-タ-の性能(情報処理能力)は、現在のスマフォよりも低い性能しかなかったそうです(笑)

 

『 (このTOPICSでも幾度か触れている)賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶとも言うけれど・・・

  AI(人工知能)は「経験」という体験はしない(出来ない)のかもしれない・・・

  その意味では歴史という「データ」に学ぶのは賢いのかもしれないけど・・・

  世の「歴史(書)」の多くが「勝者の(側が書いた)歴史(書)」であるのも事実だしなぁ~

 

  そもそもデータに間違いや「嘘」が入り込んでいたら・・・

  AI(人工知能)そのものが「嘘」を学び・・・

  AI(人工知能)が「嘘」をつく事も起こり得るのかな・・・?

  そうだとすると「私達」は、その嘘を見抜く事が出来るのだろうか・・・? 』

 

『 AI(人工知能)の判断基準という活動範囲は、おそらく「動物や植物など」にも及んでいくのだろうけど・・・

  そもそもデータを入力をする「私達」が「動物や植物など」をちゃんと理解出来ているのかな・・・?

  その場合に、何かのケース(絶滅危惧種を防ぐなど)において、AI(人工知能)が「私達(人間)」より「動物や植物など」を優先する判断はあり得るのだろうか・・・? 』

 

『 AI(人工知能)は「美しさ」や「醜(みにく)さ」というものを、どのように捉えるのだろうか・・・?

  そう言えば、映画のフランケンシュタインでは、一緒に遊んでいた少女が可愛くて、この少女を池に浮かべたら、それこそ花のように「美しい」だろうと考えて、フランケンシュタインは少女を池に落としたんだよなぁ・・・ 』

 

『 「私」が「A」というAI(人工知能)の判断を尊重し・・・

  「相手」が「B」というAI(人工知能)の判断を尊重したら・・・

  これを判断する「第3のAI(人工知能)」が新たな判断を導くのだろうか・・・?

 

  この判断の相違では「人間同士」であれば双方の妥協や折衷案なども考えられるけど・・・

  「AI(人工知能)同士」であれば「対立」となるのだろうか・・・?

  はたまた、「人間」VS「AI(人工知能)」という構図になってしまうのだろうか・・・? 』

 

『 AI(人工知能)は判断した際に考慮した「理由(なぜなら~)」もちゃんと提示してくれるのかな・・・?

  確かに(先ほどの)心臓移植医療では「より延命率が高くなるか」というのが「理由(なぜなら~)」なのかもしれないけど・・・

  仮に、その優先順位が実際に違っていた場合に、その(違っていたという)データも新たに入力すると・・・

  AI(人工知能)は「新たな」理由(なぜなら~)を提示出来るものなのかな・・・? 』

 

『 (2019年7月13日のTOPICS「鏡の法則から考える多面性と重なり ~実際のメールのやり取りから~」で取り上げた)

鏡の法則というのもあるけど・・・

  これからは、この鏡に写る(写す)のは・・・

  「人間」ではなく「AI(人工知能)」になるの・・・? 』

 

『 ん・・・? ちょっと待てよ! 何か分からなくなってきたぞ!?

  AI(人工知能)の判断(や理由)に人間が「納得」出来ないような場合では・・・

  AI(人工知能)の判断を「採用」する事はないのだろうから・・・

  そうすると、結局の所、「判断をするのが人間」であれば・・・

  AI(人工知能)は、選択肢を提示する、とてもとても、もの凄く高性能な自動計算機みたいなもの・・・??? 』

 

では、キリが無いので、ここらで「私自身への問い掛けやつぶやき」は終わりに致します!