魂の視点で捉える時代(や元号) ~価値観の逆転や自由意思という視点も~ 

そこで、新元号発表の当日ですが、私自身は、はしご酒?のように、TVのリモコンを切り替えては、各局の伝え方を色々と眺めておりました(笑)
すると、ほとんどの局の伝え方において、

 

新しい時代がやって来る(到来する)!

 

とのフレーズやイメージが多かったと感じます。
これはこれで悪い事でもありませんし、そこに「水を差す」意図も全くないのですが(笑)、ただ、

 

魂の視点においては・・・

自然と「時代」が「やって来る(到来する)」事はなく・・・

 

時代とは・・・

日々、瞬間瞬間「創られる」ものでもなく・・・

 

時代とは・・・

日々、瞬間瞬間、お一人お一人が「創り上げている」もの・・・

 

という捉え方になります。
どうでしょうか?
魂の視点を当てはめてみると、小賢(こざか)しくも感じたり、素直でないと感じられたり、小難しく理屈っぽくもあり、天の邪鬼(あまのじゃく)?のように感じられたりするかもしれませんね(笑)
そして、このような事は、私の語彙や表現力不足も関係しているとも思いますが、

 

魂の視点を「言葉」で表現するには・・・

「制限や限界」が生じる面もある・・・

 

からです。
ただ、

 

「言葉」においては・・・「時代」は・・・

「創られる」ものではなく・・・

「創り上げている」もの・・・

 

という、「ほんのちょっと」したニュアンスの「違い」に思われるかもしれませんが、

 

この視点の当てはめ方の「違い」により・・・

その先には・・・

大きな「分岐点や変化」が生じていく・・・

 

というのが魂の視点での捉え方になります。
ここ迄は、「言葉」というキーワードを頭の片隅に入れて置きつつ、この先は読み進めてみて下さい(笑)

 

では、今回のテーマのもう一つに「元号」も取り上げておりますので進めて参りますが、ここ最近の近代においては、天皇1代の元号を一つだけにする一世一元の制度が取り入れられていた事は、皆さんもご存じの事と思われます。

そして、ここには天皇陛下という存在が深く関係してきますが、次にお伝えする事は、もしかしたら?心情的には、ピンと来ない、理解出来ない、そうは思わない、あるいは、畏れ多い、不遜だ、不愉快だ、などと感じたり思われたりする方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、魂の視点としては、とても大切な事ですのでお伝えして参ります。
それは、