魂の視点で捉える時代(や元号) ~価値観の逆転や自由意思という視点も~ 

魂の視点の上では・・・

「私」そして「あなた」も・・・

「天皇陛下」も・・・

「魂の存在」としては・・・

「皆、同じ」である・・・

 

というものです。
ただ、魂の視点を活用してお届けしている私の中にも、前提としては「僭越ながらも・・・」という心情は存在しておりますが、その意味は、、、後ほどお伝えして参ります(笑)
そして、これも、このTOPICSでは幾度となくお伝えしておりますが、

 

魂の視点の上では・・・

子どもは親を選んで産まれてくる・・・

 

と。
そして、この「選択」の中には、

 

家庭や家族などの「環境」も選んで産まれてくる・・・

 

という視点も含まれます。
そして、敢えて、「私」や「あなた」を「私達」との表現を活用しますが、

 

「私達」には・・・

選んで産まれてきた家庭や家族などの「環境」を、その後に(大きく)変化させていける・・・

「自由意思を行使出来る幅」が広くなっており・・・

その「自由意思を行使出来る幅」の広さをも選んで産まれて来ている・・・

 

というのが、魂の視点における捉え方です。
そして、皆さんもご存じの通り、天皇陛下、あるいは、天皇家や皇室等においては、この「自由意思を行使出来る幅」が「制限」されているのは、感じ方としてはご理解頂けるかと思います。

なお、この「制限」とは、(現在では)「閉鎖的」という意味ではなく、「様々な制約」が課されているという意味合いになります。
そして、先ほどの「僭越ながら・・・」とお伝えしたのは、

 

産まれてくる前(あの世)における魂の視点からの「選択」において・・・

このような「様々な制約」のある(この世での)「環境」を「決断」する(出来る)というのは・・・

それ迄の間に・・・

「より様々な経験を経てきた魂」としての存在だからこそ・・・

 

とも捉える事が出来ます。
なお、これは悪意という意味では全くない事をご了承頂いた上で、「様々な制約」のある「環境」を選んで産まれて来た「全ての人(魂)」がそうである、という事ではありません
魂の上での経験値を「飛躍的に加速させる」為に、敢えて厳しい環境を選んで産まれて来ている人(魂)もいらっしゃるからです。

 

ただ、これも想像力を活用すれば、実感として伴いやすくなるかもしれませんが、天皇家などを巡る報道などに触れるにつけ、当然の事ながら私的な旅行と言っても、常に護衛などに囲まれ、そして、周囲(国民)の目に晒されるなどの「環境」に思いを馳せてみると、

 

「私」や「あなた」という「私達」が・・・

このような「様々な制約」がある「環境」での人生を・・・

果たして「耐えきる」事が出来るのであろうか・・・?

また、どのような「生き方」をする(出来る)のであろうか・・・?

 

という点を考えてみると、少なくとも「私」には、とても務まらないであろう事は「自分の身の丈」で考えれば「私」には理解出来ますが、「あなた」においては如何でしょうか?(笑)

そして、退位をされる天皇陛下ご夫妻においては、数々の戦地への慰霊や、被災者の方々への言葉掛けにおいて、従来であれば、様々な見解や時には否定されていたかもしれない、スリッパで膝をついての語り合いなどは目にした方も多いかと思われます。
つまり、