この「グループソウル(類魂)」とは、
「私」あるいは「あなた」という「ソウル(魂)」の・・・
「源」でもあり「総称」でもある・・・
というものです。
つまり、
「今」の「私」あるいは「あなた」という「ソウル(魂)」は・・・
「グループソウル(類魂)」の一部が「表現(個性)」として現れているもの・・・
でもある、という「分類」です。
どうでしょうか?
なかなか分かりづらいかもしれませんね(笑)
そして、ここで一番大切になるのは、
「グループソウル(類魂)」というのは・・・
「私」あるいは「あなた」という存在・・・
「そのもの」である・・・
という点です。
「本来の(より大きな)自分自身」と「捉えて」頂いても良いかもしれません(笑)
ちなみに、少し余談ですが、この「グループソウル(類魂)」の中には、「(全ての)前世の自分」が存在する(含まれる)とも言われておりますが、このような「捉え方」から、「生まれ変わり説」には、「全部再生説」と「一部(部分)再生説」との両説が存在しています。
「全部再生説」とは、「今」の「自分」がそのままの個性を携えて生まれ変わる
という説であり、
「一部(部分)再生説」とは、「今」の「自分」がそのまま生まれ変わるのではなく、
「グループソウル(類魂)」の中の「別(の側面として)」の「自分」とも融合して生まれ変わる
というものです。
「全部再生説」では「今の自分」という意識であるため、分かりやすさがありますが、「一部(部分)再生説」は少し分かりづらいかと思いますので、次のようにイメージしてみて下さい。
(何歳でも構いませんが)「今のあなた」から、「5歳の頃のあなた」を思い返してみた時、確かに「5歳の頃のあなた」も「自分自身」ではあるが、「今のあなた」という「自分自身」とは、少し違う(当時とは別の考え方をしている、など)というニュアンスで「捉えて」頂けると、少しだけ?イメージが掴みやすくなるかもしれません(笑)
最後は、ほとんど馴染みのない用語かと思われますが、『アフィニティ(affinity)』です。
これには様々な説や見解があり、正直な所、私もよくは分かりません(笑)
ある説においては、この「アフィニティ」と先ほどの「ツインソウル」は同じものである、という見解も存在しますし、「グループソウル(類魂)」が(複数に)別れて生まれてきたもの、という見解も存在します。
そして、これに関しては全くの私の個人的な「捉え方」になりますが、この「アフィニティ」も「グループソウル(類魂)」と深い関係がありますし、そのような視点からは「アフィニティ」も「ツインソウル」も、どちらも「自分自身である」という点は同じであるとも言えます。
ただ、私の「捉え方」においては、やはり「アフィニティ」と「ツインソウル」とでは、幾分かの差異?があるようにも感じておりますので、少し補足してご説明してみます(笑)
まず、この英単語である「アフィニティ(affinity)」の意味としては、
「近似・類似」性
というのが含まれております。
では、「ツインソウル」と「アフィニティ」の差異?を、数字とアルファベットを活用して、イメージを「捉えて」みたいと思います。