「美味しんぼ」というメタファー(物語)から考える「おもてなし」

このような「おもてなし」を受けた山岡は、たかがお茶じゃないか・・・たかが鍋じゃないか・・・と思い至り、誰でも簡単に手に入り、しかも安価な材料を使い、薬味も様々に用意し、各人の好きなように食べて貰い、「ご馳走」になる人の心に負担を掛けない為の、

 

万(よろず)鍋

 

を対決の場に出しました。
しかし・・・海原雄山は『 これがもてなしの心とは笑止千万! 』と言って、一蹴します。
そして、海原雄山が提供した鍋料理・・・それは・・・

 

〇 スッポン鍋
〇 フグチリ
〇 アワビのシャブシャブ
〇 ハモとマツタケの鍋
〇 (松葉)カニ鍋

 

という、至高の五大鍋でした。
しかも、この5つは、上から1番などの「順位付け」という意味ではなく、それぞれが最高の何もかもが「突き抜けた」料理でした。
そして、この五大鍋で使われる食材は、それはそれは、入手するのも難しく、とても高価なものでもありました・・・
そして、実は、この五大鍋は山岡も全て知っており、アワビのシャブシャブに至っては自分(山岡)が考案した料理でもありました・・・

 

ところで、この対決の場には、特別審査員として、先ほどの丿貫先生が招待されていました。
そして、この対決を見通した丿貫先生は、次のように自身の意見を述べていきます・・・

 

『 簡単に言えば、私は海原さんの料理(の方)好きだ・・・

  山岡君の料理より、ずっと素直だ・・・ 』

 

しかし、山岡は、この丿貫先生の言葉に対し、このような高価な材料を使い、しかも素人には料理出来ないような鍋が・・・何故、至高であるのか?・・・を理解出来ずにいました。
そして、丿貫先生は言葉を続けます・・・

 

『 仏心の前では、マツタケもシイタケも松葉ガニも豚のひき肉も同じ・・・

  高いの安いの言うのは市場の原理・・・仏の目には皆同じ・・・

  お二人(山岡と同僚の栗田)は、もてなす心と、相手に気に入られようと媚びを売る気持ちとを、取り違えたのではないかな・・・

  あれもこれもと取り揃え、(万鍋)は誰の趣味にも合うように出来ているが、もてなされる方はうんざりする・・・

  それはお二人の心が見えないからだ・・・ 』

 

と伝え、一方の海原雄山の料理に対しては、次のように言葉を続けていきます・・・

 

『 一方、海原さんの料理は単純明快、これ以上のものがない美味しい鍋料理を食べさせてやりたい、その心がみなぎっている・・・

  カニはこうして食べるのが一番旨いという信念が溢れている・・・

  (材料を台無しにしない為の)緊張感がシンと張り詰め・・・全ての材料に対する愛情と配慮が万全で・・・

  海原さんの心映えの作った世界(鍋料理)だ・・・ 』

 

そして、

 

『 その海原さんの世界を見せられて、さあ、どうぞ招かれる・・・

  そこには、一切の媚びがない・・・

  自分の裸の心まで広々と開いて、そこに招いてくれる・・・

  それが真のもてなしだ・・・ 』

 

そして、勝負は海原雄山の圧勝に終わりました・・・
では、このストーリーはこれでお終いです!

ところで、2015年6月25日のTOPICS「東京オリンピック」においては、次のような紹介もしております。
「ご馳走」の本来の意味としては、

 

お客様を「おもてなし」するために、

その家の主人が、新鮮な食材や旬の食材などを求めて、

「走り回る」ことです。

 

と。
実は、これも「美味しんぼ」からのメタファーです(笑)
「おもてなし」には本来、決まった形式がある訳でもありませんし、是非という問題でもありません。
私自身も同様ですが、「おもてなし」の際には、多少の「八方美人」的な要素(思い)が含まれているのも、ある意味自然な部分もあります(笑)
そのような意味からも、今回のメタファーを通して、皆さんなりの「おもてなし」を考える材料としてみて下さい!
そして、ここには、「おもてなし」のみならず、私達の日常生活・・・お仕事、人間関係、コミュニケーションなど・・・様々に当てはめる事が出来る要素も含まれております。
なぜなら、