江戸の火消しに学ぶ協力の真意 ~任せ切りにしない~

第602回:『 江戸の火消しに学ぶ協力の真意 ~任せ切りにしない~ 』

【 その他参照ワード:いろは四十八組、火事見舞い、村八分 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

昨年末(2025年)から本年当初(2026年)に掛けて山林火災が相次ぎ、飛び火などの延焼も含め、甚大な被害が出た町もありました。

そして、同じ頃の日本海側は寒波と大雪に見舞われ、太平洋側は乾燥と小雨に見舞われる、極端な「格差」が見られました。

そして、懸命な消火作業にも関わらず、なかなか鎮火しないケースも相次ぎました。

つまり、

 

雨の恵みがもたらされなければ・・・

人の手では及ばない領域が生まれ・・・

そうなると、全てを焼き尽くすまで火が止む事は無い・・・

 

との出来事を、私達は既に体験したという事です、、、

 

 

では、番組『 歴史探偵 』(NHK)から「 火災都市江戸のヒーローたち 」の回を少し眺めます!

 

【 江戸の三大大火 】

江戸の町では、

 

1年365日の内・・・

300日で火災が起こった!!!

 

と言われます!

そして、確かな記録として残っているだけでも、江戸時代を通じて1、800回もの大規模火災が発生した事が分かっています。

そして、江戸の三大大火と呼ばれるのが、

 

1657年の明暦の大火

1772年の明和の大火

1806年の文化の大火

 

です!

 

 

【 重なる自然災害 】

三大大火の中でも、明暦の大火は日本史上最大級の火災と言われ、被害も甚大でした。

1月18日午後2時頃、現在の文京区本郷辺りで出火しました。

そして、シミュレーションによると木造家屋が密集する場所柄も影響し、その後の僅か3時間で2キロほどの範疇が焼失しました。

 

そして、広範囲に延焼した原因の一つが、当時の記録書《 江戸幕府日記 》に書かれています。

そこには『 北西の、はなはだ吹く 』との記載があり、最大風速は秒速20メートルと推定され、現在では暴風警報が発表されるレベルの自然災害が重なりました。

 

更に、1時間後には江戸城の隣接地まで、火災は広がりを見せ始めました。

そして、商業の中心地だった日本橋が焼失しました。

火災発生から9時間後、火は隅田川の河口に達した事で、ひとまず落ち着きを見せました、、、

 

 

【 相次ぐ火災 】

しかし、今度は現在の文京区小石川辺りで、別の火元が原因となる第2の火災が発生しました。

未だに吹き付ける暴風により、町は延焼し続け、同じく江戸城へ火は向かい始めました。

 

当時の江戸城の外堀は日本最大級で、広い箇所では幅が約100メートルありました。

しかし、火の粉は外堀を越え、江戸城内に飛び火しました。

そして、翌日の昼過ぎには天守閣にも火の手が及び、その後は本丸から二の丸へと火は移りました。

 

 

【 為す術無しの大惨事 】

出火から26時間後、今度は現在の千代田区麹町辺りで、またしても別の火元が原因となる第3の火災が発生しました。

そして、火の手は全国各地の有力大名が居を構える、江戸城に隣接する武家屋敷一帯に及び始めました。

 

当時、武家屋敷に住む大名達は、自分達の家は然り、更に江戸城を守る為に「大名火消し」という組織を創設していました。

しかし、明暦の大火では、

 

大名火消しも為す術無しで・・・

ほとんどの武家屋敷が焼失・・・

 

しました。

そして、出火から43時間後、

 

江戸市中の燃える物は全て焼き尽くし・・・

火が海に達した所で鎮火したが・・・

焼失面積は江戸市中の6割に及んだ・・・

 

という大惨事になりました。

 

 

更に、現在でも正確な人数は把握出来ていないものの、

 

死者は推定で「5万人から10万人」と見做され・・・

江戸の人口の約1割に当たる「10人に1人」が亡くなった・・・

 

と見積もられています。

そして、日本史上最大の合戦と言われる関ヶ原の戦いでも、死者は6千人ほどでした。

つまり、明暦の大火は僅か2日間で、

 

関連性の無い3つの巨大連続火災が起こったという・・・

誰も予想出来ない想定外の事態となった・・・

 

というのが事実であり真実です、、、

 

 

【 新たな火消しの誕生と火災の原因 】

明暦の大火をキッカケに、

 

幕府直轄の「定火消し(じょうびけし)」と・・・

町人が担う「町火消し」が誕生!!!

 

しました!

 

そして、定火消しは24時間体制で運営されましたが、管轄は江戸城周辺のみで、町人が暮らす地域は管轄外でした。

故に、町人が暮らす地域の火災の被害は、減少しませんでした。

更に、当時の火災の原因は、寝たばこなどによる失火も多かったものの、

 

一番の原因は放火

 

でした。

そして、放火の原因が以下の「悪循環」にありました、、、

 

 

誰かが放火する

火災で家屋が焼失する

再び家屋を建て直す

建築の仕事が増える

貧困層が対象の日雇いの仕事も増える

再び誰かが放火する

 

つまり、幕府の体たらくな経済政策に加え、

 

全ては経済至上主義

 

という「今と同じ構図」でした、、、