第216回:『 「美味しんぼ」というメタファー(物語)から考える「おもてなし」 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

この夏も、色々な所に観光などに出掛けられた方々も多いかもしれませんね。
また、これから少し涼しくなってくる頃合いに合わせて、どこかに行ってみようと考えている方もいらっしゃる事でしょう。
そして、最近では、観光立国・立県などが叫ばれて?いる状況でもありますし、東京オリンピックなども関係している事と思われます。
そこで今回は「「美味しんぼ」というメタファー(物語)から考える「おもてなし」」というテーマをお届け致します。
なお、「おもてなし」には無数の側面がありますし、どれが良くて何が悪いなどは基本的には無いという点と、是非を述べている訳ではございませんので、その点をご了承頂ければ幸いです!

 

ところで、「おもてなし」とは若干ニュアンスが違うかもしれませんが、私も東京で行政書士の仕事をしていた際は、いわゆる「接待」を受ける事もありましたし、「接待」を設ける機会もそれなりに体験しました。
今でもお酒を飲みながら色々なお話をしたりするのは好きですが、皆さんもお持ちかと思われる「イメージとしての接待」は、当時からあまり得意な方ではありませんでした(苦笑)

 

「接待」を受けるも設けるも、緊張するという意味ではありませんが、どちらかと言えばざっくばらんな雰囲気の方が好きなので、そのように感じるのかもしれませんが・・・
また、特に当時は仕事柄という面の気を遣って頂いて?「瀬川先生」と呼ばれる事も多くありましたが、出来るだけ「瀬川さん」と呼んで頂けるようにしておりましたし、今でも相手の方に失礼にならないように「先生ではなく瀬川さんの方が気が楽です(笑)」とお伝えしております!

 

また、そのような意味からも、いわゆる「おもてなし」というのは、私自身が今だにあまり得意ではない事から、今回はこのTOPICSでも幾度かご紹介しております「美味しんぼ」(作:雁谷 哲、画:花咲アキラ 小学館)からの「第31巻:鍋対決」のスト-リ-の手を借りて参りますので、皆さんの自由な発想で考えてみて下さい!
では、メタファーという物語の始まりです!

 

主人公の山岡士郎と、その父である海原雄山との間で、究極のメニューと至高のメニューとの対決が繰り広げられていました。
そのある回で、日本ではこれだけ数多くある鍋料理の中で、何が一番美味しいのかの話になり、今回の対決の題材が「鍋料理」に決まりました。
そこで、雄山は山岡に挑発を仕掛けていきます。

 

『 鍋料理はそれぞれの地域の郷土自慢でもある・・・

  ある地域の人間に、別の地域の鍋料理を・・・

  これこそが究極とか至高とか言ったらどうなるか・・・

  自分達の愛する鍋料理以外のものが・・・

  究極とか至高とか言われて、果たして納得するだろうか・・・?(不快感は残るだろうが・・・) 』

 

と。
山岡は勝負を受けて立ったは良いが、様々な人が、自分なりの愛着のある多種多様な鍋料理を持っている事を思い知らされ、迷いの中に入っていきます・・・
既に鍋料理では色々な調味料も材料も出し尽くされており、そして、何より、

 

鍋で煮るという料理法も同じであるし・・・

 

と。
そのような中、とある一人の老人がお茶会をするのを見届ける機会が山岡に訪れました。
何を隠そう、この老人は、天下の奇人であると同時に稀代の茶人・・・大わびの本物の茶人・・・丿貫(へちかん)先生でした。
そして、そのお茶会というのが、いわゆるホームレスの方々との寒空の橋の下で行われた交流でした。
それを陰から見ていた山岡達は、

 

相手の人間の社会的な地位なんか目に映らない・・・

自由自在、一切の虚飾なし・・・

(ホームレスの方々と)何のわだかまりもなく、楽しげにお茶を飲む、自由で柔らかな心・・・

お茶を振る舞う人、振る舞われる人、両方の心が自然に一つになっている・・・

 

と感じ、別の機会に丿貫先生のお茶をご馳走になろうとご自宅に赴きました。
そして、そこで振る舞われたのは、お湯を沸かす為のお釜で焚いた塩のみのお粥や、特別で高価なものとは真逆の器で進ぜられたお茶など・・・何もかも八方破れで形式や作法に捕らわれるものではありませんでした。