当たり前「?!」と思われる視点から「今」の自分を知る ~違和感の活用を~ 

最近では、相撲界の土俵における女人禁制がニュースとなっておりました。
土俵上で挨拶をしていた方がご病気で倒れた際に、看護師資格を持っているとされる女性の方が救助に向かった事に対して、行司の方が女性は土俵に立ち入らないようアナウンスをしたとの出来事です。

この行司の方は、女人禁制というのは、「神事」でもあり「伝統」でもあるという仕来りを「長い期間」に渡って「繰り返し」教えられてきた事と思います。
そして、それが故に、

 

どのような状況であろうとも女人禁制が当たり前!

 

であり、とっさの出来事とは言え、本当に当たり前?という点に疑問を差し挟む事すら気づかなかった事と思われます。
このニュースについては、おそらく、多くの方が、このような人名救助という観点から見てもおかしいのでは?あるいは、あまりにも杓子定規過ぎているのでは?と思われている事かもしれませんし、完璧に女性差別ではないか!との意見もある事と思います(笑)
そして、既にお分かりでしょうが、これには、

 

想像力を活用すれば・・・答えが出る

 

というものです。
そして、皆さんにとっては釈迦に説法かと思いますが、もし、土俵上で倒れたのが、

 

あなたの家族や知人であったならば・・・

あるいは、

あなた自身であったならば・・・

 

という視点です。
そして、女人禁制というのは別としても、全ての伝統がおかしいものであるとか、あるいは、否定や非難されるものではありませんが、もし仮に「神」が存在するとしたら、

 

「神」が・・・人の「命」よりも・・・土俵という「物」を重んじる・・・はずはない

 

という事は容易に理解出来るかと思われます。
また、相撲ではないものの、神事というものの中には、古来においては豊作祈願や悪天候を鎮める為などと称し、残念ながら「生け贄」という儀式が行われてきた歴史も多々あります。
これは、日本に限らず世界各国でも同様です。
そして、仮に「神」が存在するとしたら、

 

男女の別で差別をする・・・はずはないし・・・そもそも、いかなる差別もしない・・・

 

というのも同じ事です。
これには、「女神」が嫉妬するから・・・などの理由とも言われていますが、正直、これも想像力を活用すれば容易に答えが出る事と思われます。
なぜなら、

 

嫉妬という「感情」は「人間」のものであって、「神」が嫉妬する・・・というのはあり得ない

 

からです。
そして、同様に世界各国の宗教などの一部でも「方便」を用いる事で、男女差別や、時には人種差別なども行われているケースは多々あります。
そして、あくまで私の個人的見解ですが、このような、男女という身体の機能性としての「区別」ではなく、単なる「差別」と思われる風習などの多くは、

 

「神」の名を「人の中の怖れをくすぐる」ために・・・「人間」が乱用や悪用している

 

と感じます。
このような本質は、宗教観の違いや、人種間の違いの争いでも同様ですし、「神」という名を「他の何か」に置き換えて、同じような出来事は私達の身近な身の周りでも見受けられる事でもあります。
そのような意味でも、「女神」という名を「方便」としていること自体が、「女性」を何かの別物?と扱っているとは思われませんでしょうか?
実際にも「男神」という言葉は、ほとんど耳にする機会はないかと思われます(笑)

なお、今回のテーマとして、私はあらゆる宗教や神事や伝統などを非難や否定している訳では勿論ありませんし、是非を問うている訳でもありませんし、神の存否を検討している訳でも勿論ございませんので(笑)
あくまで、今回の「自分を知る」というテーマに繋げていくための一つの素材として取り上げております。
そして、冷静に考えた時に、「神」が「人間」を支配しコントロールしたい、あるいは、コントロール出来るのであれば、