「喚起と暗示」により、あなたの記憶と感情を呼び起こす ~私の体験のお裾分け(笑)~ 

私の年代はいわゆる第二次ベビーブームと呼ばれる世代です。
入学する中学校は、市内の多くの小学生が集まってくる所でした。
1学年が11~12クラスほどあり、1クラス40人ほどでしたので、1学年400人を上回り、全学年を合わせると、1500人前後が生徒だけで存在していた事になるでしょう。
「今」という時代では「想像」も出来ない?ような環境や状況であるかもしれません・・・
ところで、話の流れで「瀬川さんは、また泣いたの?」と思われている頃合いかもしれませんが、さすがに、「この頃」にはそのような事はありません(笑)

 

小学校はトレパン(今で言うジャージ)で通っていましたが、中学生になると「学生服」になります。
また、「成長期」でも最たる時期でもありますので、それこそ、1~2歳の違いで「体格」も大きく違います。
その当時は、映画「ビーバップ・ハイスクール」などの影響もあり、多くが変形学生服を着るのが流行でもあり、いわゆるヤンキー世代まっただ中です。
私はそれほどの度胸もありませんでしたが、周りに倣って?プチ変形学生服を着ていました。

 

そして、「今」の私は、同世代のお近くのクライアントの方などと、この「当時」のお話をすると、「瀬川さんの通っていた中学校は荒れていて、とても怖いイメージを「当時」は持っていました!」と言われる事がよくあります(笑)
「服装」を始め、「体格」、そして、いわゆる「思春期」とも言われる時期ですが、これほど多くの「人という集団」での生活は、産まれて初めて「体験」する事でもありました・・・

 

そして、「高校」への入学です。
小学校から中学校までは、ほとんどが同じ小学校の人が同じ中学校へ通う事もあり、「春」は出逢いの側面が強い季節でしたが、高校となると様々な進路などの「違い」により、今までの人間関係の中では別れが多くなる頃合いでもあります。
高校では、電車通学をしている人もいれば、親元を離れて下宿をしている人もおりました。
今までの自分が「体験」していた「人間関係における地域」が更に「広がる」時期でもあります。
「地域が広がる」という事は、「環境や文化などの違い」がある人達との関係性を取り入れていく事が必要にもなります。
そして、私は高校生の時もプチ変形学生服を着ておりましたが、そのような「自己表現」においては中学生とは比べものにならないほど、「先を見越した考え方や生き方」が現れてくる人達との出逢いの季節でもあります・・・

 

そして、ここから多くの場合では、就職あるいは大学進学という流れになるのでしょうが、私は2年ほど「足踏み」をしておりましたので、その「体験」を続けていきます(笑)

 

1年目の浪人時代です。
東京の予備校に入学手続きを済ませ、次は「生活」をする場所探しが始まりました。
そこで予備校が斡旋していた下宿屋を何ケ所か廻りました。
そして、ある下宿屋に決めようとなった所で、その下宿屋の方から「他の人と一緒に「お風呂」に入る事は出来ますか?」と訊ねられました。
私は「大丈夫です」と答えましたが理由を尋ねると、「最近の子は他の人に「裸」を見られるのが嫌だと感じる子が多いもので」と答えていました・・・

 

そして、その下宿屋に決まりましたが、時間制限はあるものの食事付き、部屋は6畳でトイレは共同、顔などを洗う流し場は数カ所あるもののお湯は出ません。洗濯はコインランドリー。携帯電話は普及しておりませんでしたので公衆電話を使用。そして、お風呂は銭湯通いです。
母と関東の大学に入学が決まった友達に手伝って貰い、簡単な引っ越しのように部屋を整理し終え二人は帰っていきました。
すると、始めての一人暮らしのようなもの・・・これまで洗濯や掃除は自分ではした事もなく・・・(東京の大学に入学した友達は数人いるものの)他に見知る人もおらず・・・これから先の合格出来るという保証もない「不安」など・・・が突如と私を襲って、一種の「ホームシック」のような感傷を受けました。

 

1時間ほどそのような心の状態でしたが、先に「生活」を始めていた人が部屋の扉を「ノック」してくれて、色々と話して自分も何となく落ち着いてきて、その人と一緒に「銭湯」に向かいました。
「今にして思えば」始めての事なども多く大変な事もありましたが、結構楽しく生活に「馴染んで」いきました。
そして、結果は受けた大学は全て不合格となりました。
予備校に通っているという事だけで「勉強した気になっていただけ」・・・「今にして思えば」感じます

 

そして、2浪目に突入しました。
1年目の下宿屋は廃止となった為、近くの別の下宿屋に「移り」ました。
部屋は4畳半と狭くはなったものの、人数も少なく、小綺麗な所でもありました。
全ての大学が不合格になった時は、呆然としたり、どうしようという気持ちもありましたが、2浪目の生活を始める際には、「後がない」と言うよりも「ただ、やるしかない」という、どこか「別の感覚の自分」がいたように思い返されるのと、本当に「熱い火」「赤い炎」ではなく「青い炎」であるような感じです・・・

 

そして、「春」の季節ではありませんが、2浪目の時は12月31日にも模擬試験が入っておりました。
大晦日と言う事もあり、その日は下宿屋でも食事は出ず、銭湯も7時頃で閉まってしまいます。
模擬試験を終えて戻って来た頃は夕方5時過ぎでしたので、まずは銭湯に行き、帰りにコンビニ弁当を買って帰りました。
それから、「普段通り」に模擬試験の答え合わせと間違った所の復習などをして年末は過ぎました

 

2浪目は予備校入学当初から1日も休まず勉強し続けていましたが、翌日の元旦だけは「休む」事に決めました。
そして、その元旦の日は、今まで味わった事のない「1日」となりました。
「時間がゆったりと長く」感じ、「休む」という本当の意味を味わった感じです。
これから先では「体験したくない日」であると同時に、「もう体験出来ない日」という「特別な休日」です・・・

 

そして、大学入学が決まり入学式に向かいました。