【 小学校生 】
同じく、「小学校」に入学した当初なので、6歳頃でしょう、、、
幼稚園の時は弘前市に住んでいました。
そして、入学予定の小学校の「入学体験(オリエンテーション)」も、既に終えていました。
しかし、父の仕事が転勤となった3月末、急遽、今の五所川原市に引っ越しになりました。
そして、当然の如く、私には五所川原に関し、
全くの「馴染み」も無く・・・
小学校への道のりも「未知」のもの・・・
でした。
まさに、
「青天の霹靂」の如く・・・
何も分からない地に「舞い降りた」感じで・・・
「不安」で一杯だった・・・
と、「記憶」しています、、、
そして、登校初日がやって来ました。
私は、家から外に出た迄は良かったものの、
幼稚園の時と同じく、絶対に行きたくない!!!と・・・
この時は「人目のある」路上で泣き叫んだ!!!
という、進歩!?成長!?を見せました(笑)

すると、ちょうど同じクラスになる新入生が通り掛かり、母が「一緒に」連れて行って欲しいと頼みました。
そして、一週間ほど経過した頃、
その間も同じグズりを「繰り返し」ながらも・・・
何とか小学校に通えるようになった!!!
という、今度は「本当の」進歩と成長を果たせました(笑)
しかし、同じ類の話は、まだあります、、、
小学校1年生から5年生の途中まで、剣道を習っていました。
そして、小学校2年生頃の事です。
近隣の道場から数多くの生徒が集まり、山中の施設で3泊4日の合宿がありました。

そして、それほど数多くの、
しかも、見知らぬ人達(初めて逢う人達)と・・・
集団生活を送るのは・・・
その時が初めて・・・
でした。
そして、もはや皆まで言うなですが、
夜になった途端・・・
家に帰りたいと泣き喚いた!!!
との顛末になりました(笑)
すると、私の事を見かねた先生が母を呼び出してくれました。
しかし、泣き喚いたからと言って、
家に帰れるほど甘くない!!!
のが現実です(笑)
そして、部屋に戻されると、
残り「3日」「2日」「1日(明日)」と・・・
指折り「数えていた」・・・
と、記憶しています、、、

【 中学生 】
「中学校」は市内の複数の小学校から、数多くの生徒が集まりました。
しかも、私の世代は第二次ベビーブームです(笑)
1学年だけで11~12クラス、そして、1クラス40人ほどでした。
故に、1学年だけで生徒は400人を上回り、1~3年迄の全学年では1500人前後が在校していました(笑)
これは、もしかしたら、
「今」という現代では・・・
「想像」すら出来ない・・・
ような「環境や状況」だったのかもしれません、、、

中学校では「学生服」の着用が義務になりました。
ちょうど「成長期」の最たる時期であるが故に、僅か1~2歳の差で「体格」も大きく違って来ます。
また、当時は映画『 ビーバップ・ハイスクール 』の影響もあり、変形学生服が流行するヤンキー世代の真っ只中だったので、私もプチ変形学生服を着ていました(笑)
そして、マンモス校と呼ばれていたので、多種多様な生徒がいました。
そして、近隣の同世代のクライアントが来た際、中学生時の話をすると、
瀬川さんの通っていた中学校は荒れていて・・・
とても怖いイメージを・・・
「当時」は持っていました!!!
と、よく言われます(笑)
そして、
中学生は「思春期」であると同時に・・・
これほど数多くの「人との集団生活」は・・・
「生まれて」から初めての体験!!!
でした!

【 高校生 】
「高校生」になると、
子どもでもなく・・・
大人でもない・・・
人生の妙なる時期・・・
かもしれません(笑)
そして、高校生ともなると、
様々な進路の違いにより・・・
これ迄の人間関係に変化が生じやすくなるが故に・・・
出逢いもあれば・・・
別れもある・・・
というのが自然な流れです。
そして、
人間関係における地域が更に広がる契機
にもなります。
例えば、私が通学していた高校では、小中校では見られなかった「電車」通学をする人もいれば、親元を離れて「下宿」生活をしている人もいました。
そして、地域が更に広がるとは、
「環境や文化」などの違いがある人達と・・・
お互いに新たな関係性を築く為の契機!!!
という意味です!
その為には、
自らの「軸や芯」を保ちつつも・・・
お互いに「譲り合い」の心も大切で必要・・・
になります。
つまり、
「自己表現」の面で・・・
「先を見越した」考え方や生き方が・・・
「反映」され始めるが故に・・・
切磋琢磨の人間関係が多くなる・・・
というのが高校生です、、、

そして、高校卒業後は就職や大学進学の流れに乗る人が多いでしょう。
ただ、私は2年の浪人生活という、人生の「貴重な足踏み」を体験しました(笑)
【 1浪目 】
浪人1年目です。
東京の予備校に入学手続きを済ませ、次に「生活(家)」の場所を探し始めました。
そこで、予備校が斡旋している下宿屋を、何ケ所か下見に行きました。
すると、下宿屋のオーナーから次の事を聞かれました。
他人と一緒に「お風呂」に入れますか???
質問の意図は分からなかったものの、私は大丈夫と答えました。
すると、オーナーは下宿には風呂が無いので、銭湯通いになる事を前提に、
最近の子は他人に「裸」を見られるのが嫌だと感じる子どもが多いから
と、質問した理由を答えました。
私にはピンと来る理由ではなかったものの、当時はそうなんだ~ぐらいで受け取りました(笑)

そして、部屋は約6畳一間で、時間制限はあるものの食事付きでした。
また、トイレは共同で、洗面所は数ケ所あったものの、湯沸かし器などは無いので、冬は超冷たい状態です。
そして、洗濯機は2台あったものの、下宿生の人数が多かったので、なかなか空かなかったり、終わった洗濯物を取り出していない場合も多く、銭湯のコインランドリーを使用する事がほとんどでした(笑)
また、携帯電話は普及していなかったので、公衆電話を使用していました。
こうして、私の母と関東の大学に入学する友達が手伝ってくれて、引っ越しを含めた部屋の整理も終わり、二人は帰りました。
すると、私の中で、
今まで感じた事のない・・・
様々な感情が・・・
止めども無く溢れて来る・・・
ような心境に陥りました。
そして、「今、振り返って」感じる事は、
いきなりの、ほぼ一人暮らしと変わらず・・・
洗濯や掃除は自分でした経験もなく・・・
身近には見知った人もいない事に加え・・・
合格出来る保証も一切ない「不安や心配や怖れ」など・・・
つまり、一種の「ホームシック」・・・
のような「感傷」です、、、

ちなみに、幼稚園や小学生の頃のように、「泣いて」はいません(笑)
また、「誰か」に強制された訳でもなく、浪人&東京の予備校&下宿生活を決めたのは、他ならぬ自分自身です!!!
そして、1時間ほど感傷状態でいた所、隣の部屋の下宿生が私の部屋の扉を「ノック」しました。
そこで、お互いに色々と話している内に、私も落ち着きを取り戻し、その下宿生と銭湯に行きました(笑)
そして、同じく「今にして思えば」、初めての体験や出来事も含め、
数多くの大変な事もありながらも・・・
それなりに、楽しく生活に「馴染んで」いった・・・
という流れになりました。
ただ、1浪目の結果は、
受けた大学は全て不合格!!!
となりました!

そして、「今にして分かる」事ですが、
予備校に通っている事だけで・・・
単に勉強した気になっていただけ・・・
でした、、、