【 晩年の胸中は如何に 】
1986年、大会はメキシコで開催されました。
そして、先の民主化を果たしたアルゼンチンでは、新たなスターのディエゴ・マラドーナがキャプテンに就任しました。
そして、イングランドとの準々決勝、マラドーナは歴史に残る2つのゴールを決めました。
ちなみに、遡ること4年前、アルゼンチンはフォークランド戦争でイギリスに敗れた事から、マラドーナの胸中には様々な思いが渦巻いていました。
そして、試合に目を向けると後半6分、マラドーナはゴール前で明らかな《 ハンド(違反) 》を犯しました。
しかし、審判の目も届かず、マラドーナのゴールと判断されました。
これが、マラドーナが自らで呼んだ、
神の手(ゴール)
という事です(笑)

更に4分後、マラドーナは伝説となった《 5人抜き 》でゴールを決めました。
そして、監督に就任したベッケンバウアー率いる西ドイツに勝利し、アルゼンチンが優勝を果たしました。
そして、マラドーナも国の英雄として、崇拝されるようになりました。
しかし、8年後の1994年、マラドーナはドーピング検査で陽性となり、アメリカ大会で追放されました。
ちなみに、マラドーナ自身は『 ドーピングはしていない。 』と主張していました。
ただ、その後は薬物依存に陥りました。
そして、6年後の2000年、マラドーナを救うべく手を差し伸べたのが、キューバ国家評議会議長(最高指導者)のフィデル・カストロでした。
そして、カストロはマラドーナを、
欧米の大国に立ち向かう同志
と見做しました。
こうして、カストロの支援を受け、キューバで療養を終えたマラドーナは、2005年にアルゼンチンで自らが司会者の番組のゲストに、カストロを招きました。
そして、自らの足に彫ったカストロのタトゥーも、本人に見せました。
一方、キューバと対立していたアメリカは、マラドーナを入国拒否の扱いにしました。
故に、その後もマラドーナは、更にベネズエラなどの反米の指導者達と連携しました。

【 語り掛ける選手 】
2005年、翌年のドイツ大会を控え、アフリカで予選が行われました。
そして、コートジボワールが初出場を決めました。
キャプテンのディディエ・ドログバは、ヨーロッパの名門クラブで活躍する世界的スターでした。
そして、ドログバがサッカー選手を目指すキッカケになったのが、8歳の時に観たヒーローである、先のマラドーナのプレーでした。
しかし、当時(2002~2007年)のコートジボワールでは内戦(第一次)が勃発していました。
しかも、内戦の原因が、
地域、民俗、宗教などが複雑に絡み合った争い
でした。
そして、初出場を決めた直後、ドログバはテレビを通して国民に語り掛けました、、、
ドログバ:
『 コートジボワールの皆さん。 私達は今日、ワールドカップという共通の目標を掲げて、国が一丸となって戦える事を証明しました。 跪(ひざまず)いてお願いします。 互いに赦し合って下さい。 どうか武器を置いて下さい。 私達は、ただ楽しみたいのです。 銃を撃つのは止めましょう。 』
それから2年後、ドログバが大統領官邸を訪れた所、大統領は内戦を終結すると宣言しました。

【 半世紀後に実現した世界 】
2010年、先の通り開催国が南アフリカに決まりました。
そして、この頃はアパルトヘイト政策も既に撤廃されていました。
そして、27年の獄中生活を経て、同じく先のマンデラが黒人初の大統領として国の再建を牽引していました。
そして、同じく先のペレもマンデラの元を訪れ、大会の開催を祝福しました。
そして、時を遡ること3年後に開催を控えた2007年、同じく先のロベン島のマカナ・サッカー協会は、
人種差別との戦いのシンボルとして・・・
FIFAの名誉会員に認定!!!
されました!
そして、囚人としてマカナ・サッカー協会憲章を策定し、初代会長に就任したのがディハング・モセケネです。
そして、その後のモセケネは、
南アフリカ最高裁判所副判事の任を担い・・・
南アフリカの新憲法の策定に携わる・・・
という役目も果たしました。

【 イランから生まれた連帯 】
1981年以降のイランでは、イスラム革命により、
女性のスタジアム観戦が禁止
されました。
故に、
胸にさらしを巻いたり・・・
ヒゲのメイクを施したりなどの男装をして・・・
スタジアムに出掛ける女性が後を絶たない・・・
という状況でした。
そして、この実態を世界が知るキッカケになった、一つの痛ましい事件がありました。
2019年3月、イラン人女性のサハル・ホダヤリは、テヘランのスタジアムで観戦していた所を拘束されました。
そして、その後の9月、彼女は焼身自殺をしました。
そして、応援していたチームカラーの青いユニホームを彼女が着用していた事から、
ブルーガールと呼ばれ・・・
世界に連帯の輪が広がった!!!
という流れになりました!

こうして、世界中から大きな声が上がり、イランは2022年のワールドカップのアジア2次予選で、一時的との条件付きながらも、女性のスタジアム観戦を認めました。
しかし、同じく2022年のカタール大会で、
イラン代表は国歌斉唱をボイコット
しました。
なぜなら、大会の2ヶ月前、同じくイラン人女性のマフサ・アミニが、
ヘジャブ(女性が頭を隠す布)のかぶり方が不適切とされ・・・
逮捕され死亡した・・・
という、同じく痛ましい事件が起こったからです。
それが故の、
沈黙の抗議
でした。
そして、この沈黙の抗議と同じ時間帯、ロンドンでテレビ観戦をしていた女性達も、笛を鳴らすという手法で抗議に加わりました。
その抗議に際し、
連帯を示すスローガンとして・・・
《 女性・命・自由 》
を掲げました、、、

では、番組は終了し、ここ迄の内容から総括します!