安楽死が見据える先にあるもの:前半 ~自殺幇助との違いを考える~

【 キボキアンの最後 】

判決から8年後の2007年6月1日、79歳のキボキアンは仮釈放されました。

ただし、以下の条件が付けられました、、、

 

《 自殺幇助の立ち会い・アドバイスの禁止 》

 

しかし、キボキアンは全米を巡り、特に大学生の若者を対象にして、

 

安楽死の有効性

 

を説いて回るようになりました。

 

 

2011年3月18日、キボキアンは腎臓ガンで入院するものの、病院が嫌で即刻退院しました。

しかし、翌19日に病状が急激に悪化し、再び「強制」入院となりました。

そして、キボキアンは病床で、以下の事を言い続けました、、、

 

『 病院は耐えられない。 自分の命は、人の手に委ねられない。 』

 

そして、ニールは他者から次の質問をされた事がありました、、、

 

他者からの質問:
『 何故、キボキアンは自分に対して、自殺幇助・安楽死を選択しなかったのか??? 』

 

その質問に対し、ニールは以下の通り答えました、、、

 

ニール:
『 キボキアンは状況が許せば、喜んで安楽死の道を選択しただろう。 彼が望めば、私はいつでも駆け付けて協力するつもりでいた。 でも、病院に戻った時には、彼には何かを決断する体力は、もう残っていなかった。 』

 

病院で手厚い治療を受け、医師に見守られる中、2011年6月3日、キボキアンは83歳で他界しました。

そして、死の間際の病床で、最後の言葉を残しました、、、

 

キボキアン:
『 こんな死に方をするなんて( This is not the way to die. )。 』

 

 

では、番組は終了し、シンプルに締め括ります!

 

【 感性の麻痺に陥らない 】

ここまで眺めて来た内容から、法的な問題はともかく、冒頭に問い掛けた、

 

安楽死と自殺幇助の違い

 

に関し、あなたはどのように考え、感じましたか???

そして、今回は安楽死の「正誤・善悪・是非」を問い掛ける趣旨ではありません、、、

 

ただ、

 

仮に安楽死と自殺幇助に「違い」はなく・・・

どちらも「同じ」だと考えてみると・・・

安楽死に「協力」した人は、自殺の「手伝い」をした事になると同時に・・・

自殺に「協力」した人は、安楽死の「手伝い」をした事になる・・・

 

という「論理・理屈」になります。

 

 

どうでしょうか???

あくまで私個人の「感覚」ですが、

 

この両者を、同時に並べて眺めると・・・

どこか表裏一体では無い・・・

 

という「感触」を受けます、、、

 

そして、

 

現在では、安楽死が殺人に問われるケースは減り続け・・・

自殺幇助にも当てはまらなくなりつつある・・・

なぜなら、安楽死を合法化する国が増え続けているから・・・

 

というのが現状です。

繰り返しですが、安楽死の「合法・違法」を問い掛けている訳でもありません、、、

 

 

ただ、

 

微妙な違いを考える事を「放棄」すると・・・

更なる微妙な違いに「気づけず」・・・

いつしか、違いを「放置」するようになり・・・

その放置が「無関心と他人事」を生み出し・・・

世の中や社会そのものが「感性の麻痺」に陥る・・・

 

という流れを辿る事は、「歴史が証明」しています。

そして、

 

次第に「同調圧力」が蔓延する

 

という「末路」を辿る事も、、、

 

※ 関連TOPICSはこちら

・ 『 朱に交われば赤くなる事の危険性 ~同調圧力も含めた善悪功罪という両面~ 』

・ 『 自殺(自死)防止への願いを込めて ~魂の視点より~:しまった!と気づく前に 』

・ 『 魂の視点から考える「安楽死と尊厳死」 ~「自殺」との関係性も含め~ 』

 

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