【 相容れない中でも見つかる提案という光 】
占拠から5日後の3月23日、国民党の総統の馬 英九は「批准以外に選択肢は無い」と発表しました。
しかし、学生達は、
穏やかで、平和的なデモを予定通り行う
と、諦めずに宣言します。
すると、立法院の周りには運動の参加者が増え、数十万人の規模に膨れ上がりました。
一方で、更なる長期化も見込まれる状況になりました。
4月6日、王 金平が立法院に出向き、学生達と「ある約束」を交わした事で、事態が動き出します、、、
ところで、占拠の当初に王 金平が「学生達に怪我を負わせないように」との発言をした事で、学生達の排除が難しくなった事に対し、「仲間」の国民党内からも王 金平への「不満や不信感」が噴出しました。
しかも、当時の王 金平と馬 英九(総統)の間には、政治的な「わだかまり」がありました。
馬 英九(総統)は一刻も早く学生達を排除したい一方、王 金平は排除で怪我人が出たら大惨事になる事を危惧し、その事態だけは避けなければと考えていました。
しかし、3月24日に学生達と機動隊が衝突し、負傷者が出てしまいました。
この時、排除を指示したのが王 金平でしたが、この事態により馬 英九(総統)政権への不満が高まりを見せました。
そこで、王 金平は馬 英九(総統)に2つの「提案」をします。
一つ目は「サービス貿易協定を監視する為の法案を優先して成立させる事」。
二つ目が「その後に、サービス貿易協定の審議を再開する事」でした。
しかし、馬 英九(総統)は拒否します、、、
3月30日になると総統府前にも市民が集まり、更に大規模なデモが行われる事態となりました。
すると4月3日、馬 英九(総統)は王 金平の提案に「反対しない」事をメディアに発表しました。
実は、この2つの提案が、王 金平と学生達が交わした約束の内容でした。
そして、王 金平は馬 英九(総統)の「反対しない」との言葉に目を付け、サービス貿易協定の「審議を後回し」にするだけで、推進する方針は変わらないという事を意味していました。
そして、審議の順番を変える「権限」を持っていたのが王 金平でした。
これにより、
王金平は馬 英九(総統)に「背く」事を回避出来・・・
学生達に歩み寄る「一つの道」となった・・・
という結果になりました。
こうして、学生達も納得して運動は解散となりました。
そして、学生達は解散前に2日間掛けて議場を掃除し、原状回復に取り組みました。
絨毯の破損などで損害が約950万円ほど出たものの、市民からの支援金が同額(約950万円)残っていたので、それで補填し、円満解決となりました。
ところで、TOPICSでは、
全ての崩壊は「内部」から
と伝えています。
日本でも戦国時代などでは、「昨日の敵は今日の友」はよく起こりました(笑)
今回の王 金平のケースとは少し違いますが、
分断の行き着く先は「孤独」
です。
そして、学生達が「実践」したのが、
立つ鳥跡を濁さず
です!
特に、気候変動を含めた環境対策は「待ったなし」です。
これが、TOPICSで繰り返している、
死に逃げは出来ない
という意味です。
では、
何が出来るのか???
が、先ほどの「立つ鳥跡を濁さず」という実践です!!!