心と食の関係性 ~基本は安心ではなく安全&学校給食の誕生からも~

それでは、ここから『 美味しんぼ 』(作:雁屋 哲、画:花咲アキラ、小学館)の「 第33巻 驚きの味(前編・後編) 」をメタファーとして眺めていきます!

 

 

【 「もてなし」のお願い 】

主人公の山岡士郎が一つのお願いをされます!

料理人の間宮のお得意さんに大企業の平山社長という人物がいました。

平山社長はある土地を円満に譲って貰う事を考えていて、その土地の所有者というのが山岡の知人であり大金持ちの京極でした(笑)

平山社長はその為に京極の《 心を掴む 》事が必要となり、美食家でもある京極をもてなす為に間宮に料理をお願いします。

 

そこで間宮の料理を山岡は食べ、美味しいものの果たして京極の《 心の琴線 》に訴えるものであるかを考え始めます、、、

すると、山岡は以前に読んだ『 土を喰ふ日々 』(著者:水上 勉)という本を思い出します!

 

そして、打ち合わせの為に間宮の店で山岡が平山社長から話を聞くと、金に糸目を付けず豪華絢爛な料理を作って欲しいと言われます。

この時の山岡は平山社長の事を事前に調べ、彼は長野県の農家の生まれで、今は菜園付きの別荘を持っている事を確認します。

平山社長も「畑作業は大好きで、土を耕していると心身共に安らぎ、野菜作りは私の健康法だ」と話します。

そこで山岡は平山社長と間宮に先程の本を読ませる事にします、、、

 

【 山岡の悪巧み!? 】

そこで山岡は事前に京極とも会い「平山社長は豪華絢爛な料理をご馳走すれば(京極は)すんなり土地を譲る。 つまり食べ物で丸め込もうと考えている。」と敢えて作文を交え伝える事で京極を怒らせる事に成功します(笑)

そして、京極が平山社長の別荘にやって来ます、、、

 

【 心の琴線に訴える「精進」 】

猜疑心満々の京極は「何を食べさせて貰えるのかな」と尋ねると、

平山社長:
『 さあてと、それは畑と相談してみませんと。 』

と答えます。

 

そして、この言葉(「畑と相談」)は本からの受け売りである事を正直に告白し、著者は自給自足で自分の為に、そしてお客さんの為に料理をし、本の副題には「わが精進十二ケ月」と付いていると京極に教えます。

京極:
『 ふむ、野菜とか山菜料理ならそら確かに精進料理や。 』

平山社長:
『 いや・・・・・ この場合の精進とは、もっと広い大きな意味に使われているようです。 』

 

そこに間宮から色々と良い野菜が採れたので料理に取り掛かると報告を受け、更に平山社長は著者は9歳から禅寺で修行をし、16歳から18歳の頃に住職の身の周りの世話をしていた話を披露します。

そして、冬の最中にお客さんが見えた時の住職が著書に言った次の言葉を紹介します。

《 こんな寒い日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、二、三種類考えてみてくれ。 》

 

更に、著者が道元禅師の教えを重ね合わせた上で学んだ事を紹介します。

《 ホウレン草の葉もヘタも同じ、どっちを尊びどっちをさげすむことがあってはならぬ。 粗末なものをいやがらず、粗末なものが上等になるように努力すればよい。 いい材料があってもほくほく顔をするな。 物によって心を変えてはならぬ。 土から出て来た一草一根には平等の価値があるのだ。 》

 

 

そして、段々と心を開き始めた京極に平山社長は話します。

平山社長:
『 で、さっきの精進の話にもどりますが、作者の考えは次のようにまとめられるように思えます。 まず第一に材料の持つ真の価値を引き出すように工夫するべきこと。 次に先人の作った料理を美味しいと思ったら、それをもっとよくするように努力すること。 要するに材料と向き合い、その価値を引き出し、先人の作ったものよりさらに美味しい料理を作る努力をする。 その努力こそが精進の本当の意味であるということです。 』

京極:
『 ううむ・・・・・精進とは努力の意味を持つ。 本当の精進料理とはそういう意味やったんやな! ナマグサものを絶っただけが、精進料理やないのや! ああ、眼からウロコが落ちた思いとはこのことや! 』