オッペンハイマーの生涯から考えるカルマ(業)とグループソウル

【 揺れ動く原爆投下の意義とトリニティ実験 】

ナチスドイツが降伏した事によりロスアラモスでは原爆の開発を疑問視する声(原爆を作る意味が無くなったなど)が上がり始め、原爆投下の意義を問う話し合いも度々行われていきますが、そのような声を抑え込んだのがオッペンハイマーでした。

そして、マンハッタン計画の開始から2年11ヶ月後となる1945年7月に原爆が完成し、7月16日にトリニティ実験と名付けられた人類史上初の原爆実験が行われます、、、

 

この時ドイツで連合国首脳とのポツダム会談に臨んでいた第33代アメリカ大統領ハリー・トルーマンの元に実験成功の報告が届けられます。
ちなみに、この時に伝えられたのが〖 手術成功。 結果は期待以上。 〗という暗号でした。

そして、この場でトルーマンとスターリン(当時のソ連)は会話を交わします。

 

トルーマン:
『 アメリカは異常な破壊力の新兵器を手にしました。 』

スターリン:
『 喜ばしい。 日本にうまく使って下さい。 』

 

そこにあったのは兵士の更なる犠牲を防ぐというアメリカとしての大義名分と同時に、戦後のソ連を牽制する意図も含まれていました。

そして、オッペンハイマーの詳細な指示の元に8月6日には広島、9日には長崎に原爆が落とされました、、、

 

この6日にはポツダム会談を終え帰国の途に着いていたトルーマンに原爆投下の一報が伝えられ、その後にアメリカ国民に日本への原爆投下をスピーチする際に撮られた映像では、本番の合間に笑みをもらしつつ、次のスピーチをします。

 

トルーマン:
『 我々は史上最大の科学的なギャンブルに20億ドル以上を費やし、そして勝利した。 金額以上に偉大だったのは、これを見事に隠し通したこと。 そして、この計画を成功させた科学者達の頭脳である。 』

 

その後の8月14日にポツダム宣言を受諾し日本は無条件降伏をしますが、翌9月にオッペンハイマーがトリニティ実験の跡地の視察に出向いた事で、世界は誰が原爆を作ったのかを初めて知る事となりました。

こうしてオッペンハイマーは原爆の父と呼ばれ、アメリカの英雄となり、それと同時にローレンスとオッペンハイマーの立場も逆転し始めます、、、

 

 

【 オッペンハイマーの苦悩の始まり 】

この頃からオッペンハイマーの心の中で変化が生じ始めていきます。
その一端として、終戦から数ヶ月後にロスアラモスで日本の被爆地を視察して来た科学者達の報告会が開かれますが、ある報告者が次の発言をした時の事です。

ある報告者:
『 たてがみの片方が完全に焼き払われ、もう片方は普通のままの馬を見たが、それでも幸せそうに草を食べていたよ。 』

 

すると、オッペンハイマーは激しい言葉で叱責します。

オッペンハイマー:
『 原子爆弾が善意ある武器かのように語るな。 』

 

また、トルーマンがホワイトハウスにオッペンハイマーを招いた際には、

オッペンハイマー:
『 大統領閣下、私は自分の手が血で汚れているように感じるのです。 』

トルーマン大統領:
『 汚れているのは私の手だ、君が気にすることではない。 』

 

そして、この会談後にトルーマンは自分に二度とオッペンハイマーの顔を見せるなと酷評しました。

更にロスアラモスで軍がオッペンハイマーに感謝状を手渡す式典の際には、

オッペンハイマー:
『 今、誇りは、深い懸念と共にあります。 もし原子爆弾が、これから戦争をしようとしている国々の武器庫に加わる事になれば、いつか人類はロスアラモスとヒロシマの名を呪う事になるでしょう。 』

この直後にオッペンハイマーはロスアラモスの所長を退任します、、、