安楽死から考える肉体的苦痛と精神的苦痛 ~真のコミュニケーションという視点も~

迎田さん:
『 人に甘えるというのが下手くそなのかもね。 (中略) (「今すぐに死が迫っている訳ではなく、まだまだ生きられる事も含め、改めて安楽死を思いとどまる事が出来ないか?」を問われ)生きられるけど、何が嫌なのかと言うと、痛みなんじゃないですか。 痛みと不快感。 』

 

更に『 難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけれど、安楽死した方がいいのかな!?」と思ってしまう人が出る可能性について 』という点を問われると、

 

迎田さん:
『 難病だから誰でも(安楽死して)いいというものではないですよね。 病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない。 基本は生きる事ですから。 でも、それがやむを得ない時に安楽死があるって事だから。 そこのジャッジをね、しっかりしないと。 』

 

そして、迎田さんも旅立たれました、、、

 

 

【 (仮名)くらんけ さん(女性:30歳) 】

3人目は家族に迷惑を掛けたくないとの思いを持っているくらんけ さんが、父親と共に安楽死の為にスイスにやって来ました。

そして、日本にはくらんけ さんの母親と二人の姉がいます。

くらんけ さんは6歳の時に難病のCIDP(慢性炎症性脱骨髄性多発神経炎)を患い、手首から先と足を動かす事が出来ず、両親に介護され一日の大半をベッドの上で過ごしている状態でした。

ただ、父親も他のご家族もくらんけ さんの安楽死には強く反対していました。

 

くらんけ さん:
『 私は勿論「死にたい、終わらせたい」という気持ちは強いのだけれど、だけど一方「私が死んだら(両親が)生きていけるのかな」という心配もあったりしていて。 (中略) (安楽死を考え始めたのが5年程前との事に対し)ずっと一緒に両親といると、両親も老いていくのを見ていく訳で。  』

 

そして、エリカ医師による最終判断の診察の際に安楽死を選択した一番の理由を問われると、

 

くらんけ さん:
『 両親の介護がないと生きていけない。 自立出来ない事が一番辛いです。 (中略) 私だけの問題だったら100%(安楽死する)だけど、両親の事を思うと少し揺れる所があります。 「私が死にたい」と思うのは、ある意味エゴだし、両親が私の苦痛を考えないで「生きてくれ」というのも彼らのエゴだと思うし。 』

 

そして安楽死が認められる事になりますが、付き添っていたくらんけ さんの父親が夜中に眠れなくなってしまい、体も震えだし、発狂しそうだとくらんけ さんは言われます。

そして、安楽死当日の最後の診察で、

 

エリカ医師:
『 私は娘さんとエゴイズムについて議論してきました。 親が娘の安楽死を許さないのがエゴなのか、それとも娘が死にたいと思う事がエゴなのか。 お父さんはどう思いますか? 』

父親:
『 親としては少しでも(生きる)可能性を見出してやる。 それが親の務めだと。 日本ではその責務もあるし、そういう社会です。 』

 

この父親の発言に対しくらんけ さんは涙を流し、「父親の発言は自分への回答にも何にもなっていない」と憤慨し、半ば自暴自棄のような感じで「もう本当に死にたい」と自分の安楽死に許可を出します。

その後、父親はくらんけ さんに「生まれて来てくれてありがとう」とのお礼を伝えたりなどで安楽死の準備が進められていきますが、くらんけ さんは点滴ではなく自らで致死薬の入った液体を飲むという方法を選択します。

 

しかし、いざ液体を飲もうとすると、その際に何度も咳き込みくらんけ さんが涙を流し始めた事からエリカ医師は異変を感じ取り、改めてくらんけ さんに安楽死を実行して良いのかを問います。

 

くらんけ さん:
『 私は親や家族を無視出来ません。 』

 

そして安楽死は途中で中止され、くらんけ さんは生きる事を選択し決断する事にします。

その時の状況を聞かれ、