【 教え教わるも絶えず変化している 】
三原 氏の長男の自宅から、別の原稿も見つかりました!
そして、栗山 氏はWBCの開催前に読ませて欲しいと依頼をしました。
すると、書かれていたのが、次の内容でした、、、
三原 氏の原稿:
《 三原用兵には奇策が多いとよく言われる。 しかし私から見れば、それは奇策ではない。 私自身のセオリーである。 》

それを読んだ、栗山 氏のコメントです、、、
栗山 氏:
『 奇策と言われたりマジックと言われたりとか、何か、この作戦によって勝ったみたいな事ってよくあるじゃない。 この判断、この決断によって。
で、それはその人にとっては一番確率の高い根拠なんだっていう、これはやっぱ、そうなんだっていう、何かそんな感じがする。 三原マジックの正体というか。 それを三原さんはセオリーと呼んだんだと思うんですよね。
誰も気づいていない所まで俺は気がついてるぜ、多分、奇策じゃなくて “ 俺は気がついてるんだぜ ” って思ったんじゃないかと思います。
何でこういう事(三原ノートに書かれている事)を言われているのかという根拠が、(これ迄に自分なりの様々な他の人の話を聞いたり経験して来た事で)今の僕には凄く何か(腑に)落ちてくるというか、あぁ、これ最初の頃はやっぱ分かんなかったなぁっていう感じがします。 』

ところで、
セオリーとは、「常識」という意味ではなく・・・
自らで《 自らの事(これまでの「思い・言葉・行動」) 》を・・・
信頼出来るかどうか・・・
という意味です。
そして、同じ事は、
自分自身に嘘は付けない
自分のした事は自分に反ってくる
との視点にも当てはまります。
そして、《 基本形(という自らの軸や芯) 》が出来上がると同時に、
そこから更に・・・
教える側も教えると同時に、自らの軸や芯を絶えず創り変えている・・・
教わる側も教わると同時に、自らの軸や芯を絶えず創り変えている・・・
この両方が《 かみ合って(交じり合って) 》こそ・・・
真の意味での《 教え教わる 》が可能となる!!!
という事です!

【 真の動機を大切にする 】
三原ノート:
《 困難な時にこそ人の真価は判(わか)る ハッスルせよ 》
この《 真価 》の言葉を変えたものが、同じくTOPICSで幾度も伝えている、
《 最も問われるのは真の動機 !!! 》
です!
【 時空間も超える 】
では、締め括りに入ります!
まず最初に、
あなたは教わっているつもりはなくても・・・
必ず誰かに何かしらを教わっている・・・
あなたは教えているつもりはなくても・・・
必ず誰かに何かしらを教えている・・・
それが人の世の常・・・
です、、、

そして、
教える時は、目の前の相手だけに教えているのではない・・・
教わる時は、自分だけが教わっているのではない・・・
更に、教え教わるとは、
《 時空間 》を越えて・・・
遙かなる影響を及ぼす!!!
というのが事実であり真実です(笑)
そして、教え教わる際には、
時に《 嘘も方便 》の活用も大切で必要な場面もあるが・・・
《 正真正銘 》の嘘はダメ!!!
です(笑)
