種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~

ここまで、「女性と男性」という人間関係、「上司と部下」や「経営者と労働者」などの職場や仕事関係、「妻と夫」や「義母」などの家族関係、「条約と法律」などの世界と日本との関係、「過去と今」などの時間の関係などが出て参りました。

「実(花)を結ぶ」為には「種」にお水などを与えなければなりませんが、「一人」で行う水やりなどもあれば、「複数人」で協力して行う水やりなどもあるでしょう。
そして、これは、

 

育(そだ)てる・・・

という事である一方・・・

育(そだ)てるとは・・・

育(はぐく)む事である・・・

 

という事からも、「複数人」というのもキーポイントとなってくる事でしょう。
また、「実(花)を結ぶ」為には、そもそも「種を植える」必要性も生じてきますが、今回私がお伝えしたい視点はここではありません(笑)
勿論、これも大切な視点であるのは言うまでもありませんが(笑)

では、今回のテーマになぞらえて、私がお伝えしたい点ですが、それは、

 

「どのような種」を植えるのか・・・???

 

という点が出発点となります。
これは、

 

これから先「どのようなあなた」になりたいのか・・・???

 

という事への問い掛けにもなります。
そして、

 

「種」とは「あなた自身」の事であり・・・

「あなた自身」とは「あなたの思い・言葉・行動」であり・・・

それに水をやり「実(花)を結ぶ」為には・・・

「あなた自身」の「一貫性」を保つ!!!

 

という事です。
そして、

 

「種」を生み出す(創り出す)「素材」となるもの・・・

それが・・・

「考えて」そして「気づく」事!!!

 

であり、

 

「考え」と「気づき」の「源」となるもの・・・

それが・・・

「真の動機」!!!

 

になります。
そして、

 

「あなた自身」という「実(花)」を・・・

「誰か」が「どこか」で見つけ出し・・・

「誰か」の「希望(など)」になり得ていく!!!

 

という事に結び付いていきます。
そして、この1年以上も続いているコロナ禍という状況において、

 

私達は「どのような種」を植えてきたのか・・・

あるいは、そもそも「種」を植えてきたのか・・・

「今という現状」で目に映っている景色の中に・・・

果たして「実(花)」は「存在」しているのか・・・