承認欲求は悪い事ではありません(笑) ~自己承認欲求と他者承認欲求の区別は意味が無い!?~

私の事を見て、見て、見て!!!

私の事をかまって、かまって、かまって!!!

私の事を理解して、理解して、理解して!!!

 

という傾向が強い事であるかもしれませんし、更に、

 

私の事を・・・

見てもくれない、かまってもくれない、理解もしてくれない・・・

そんな「あなた」が悪い!!!

 

との傾向に拍車が掛かり、それに加味されるかのように、

 

私の事を・・・

見てもくれない、かまってもくれない、理解もしてくれない・・・

そんな「私」って可哀想!!!

 

との、所謂、極度の「自己憐憫」の状態にあるのかもしれません。
ちなみに、この自己憐憫とは映画やドラマなどでの「悲劇の主人公(ヒーロー・ヒロイン)」と同じです(笑)

では、ここで皆さんも考えてみて下さい!

 

私の事を見て、かまって、理解して・・・

それが出来ない「あなた」が悪い・・・

そんな「私」は可哀想・・・

 

これは・・・

自己承認欲求、あるいは、他者承認欲求の・・・

どちらでしょうか???

 

如何ですか(笑)
もしかしたら、一見すると他者承認欲求の傾向が高いように感じるかもしれませんね(笑)
では、少し変な例えかもしれませんが見てみましょう!

例えば、私の事を見て!というケースでは、(見てくれないが為の)他者承認欲求のようにも映りますが、

 

髪の毛もボサボサで寝癖だらけで・・・

顔も洗っていない(お化粧をしていないスッピンなどでも良いですが)・・・

その状態の「私」を見て!!!

 

となりますでしょうか???(笑)
つまり、これは、

 

それなりに整った状態の「私」・・・

である「前提」を認めた上での・・・

自己承認欲求の充足(を必要としている)・・・

 

との視点も成り立ちます。
また、逆に、「私」は可哀想!!!のケースでは、自分の中の「感情」を理解しているかのような現れとして、「可哀想」との自分を認めている自己承認欲求(が充足されている)のようにも映りますが、このケースでは、可哀想!!!という「前提」があってこそ始めて成り立つものでありますが、