コロナ禍の(お盆時期の)供養から「今」を考える ~魂の視点も含め~

【 「考える」事も作為という行動 】

「今だけ  金だけ  自分だけ」という傾向に、

 

「気づいていた」としても・・・

果たして、「目を逸らして」いなかったか???

 

という「過去」が、「今」に現れている(「反映」という創造)という面もあります。

故に、「今から」でも、一人一人が「考える」事が必要です。

 

なぜなら、

 

「考える」という「作為」の行動が・・・

「未来」の「何か」を創造(反映)する!!!

 

からです!

 

 

【 「今だからこそ」試すも良い 】

コロナ禍の供養とは言っても、帰省も出来ず、墓参りも出来ない事から、業者に墓の掃除や供え物を依頼する件数も、軒並み増大しています。

勿論、同じ事は「オンライン墓参り」にも当てはまります(笑)

 

そして、「今だからこそ」試すも良いです!

なぜなら、誰かに任せるとは、

 

一見すると「不作為」という行動に感じられ・・・

「作為」という行動と「真逆」に捉えられがちだが・・・

どちらも「(故人への)想い」が出発点となっている!!!

 

からです!

故に、「逆もまた真なり」で、自分で出来ないからと言って、誰かに(必ず)頼まなければならないものでもありません(笑)

 

 

【 形式(儀式)の真意 】

少し視点を変えると、供養では「形式(儀式)」も活用されます!

そして、「形式(儀式)」の真意とは、

 

故人へ向けた(供養という)「想い・言葉・行動」の中で・・・

特に、あなたの「思い」を整理する為に・・・

「形式(儀式)」という一般化する事で、誰でも供養を可能とする「智慧」の現れ・・・

 

という所に「本質」が存在します。

 

そして、この本質から導かれるのが、

 

「形式(儀式)」とは言いつつも、「なぞる」だけでは(ほとんど)意味を成さず・・・

「思い」を込める事が、何よりも大切!!!

 

という事です!

 

 

【 「今」の活用が問われる自由意思 】

魂の視点を更に飛躍させると、

 

私達の誰もに共通しているのは・・・

いつかは、あの世に戻る・・・

 

という大前提があります。

そして、

 

私達の誰もに「今」という瞬間(時間軸)が与えられている・・・

 

というのも共通しています。

 

しかし、

 

「今(という瞬間)」を、どのように過ごすのかは・・・

「自由意思」に任されている・・・

 

というのが、人それぞれの違いになります。

そして、

 

「自由意思」とは「言葉」を変えると・・・

「考える力」を養う為に与えられているもの・・・

 

という事です。

 

 

そして、当然ながら、あの世では病気も怪我もウイルスも存在しません。

また、あの世で交流出来るのは、

 

自分と「境地」が似通っている人(魂)同士・・・

 

という「制限(限界)」があります。

 

勿論、人(魂)には長所も短所もあるのと同じく、あの世でも「個性」の違いは変わりません!