自粛などの「不作為という行動」が現れている(そうせざるを得なくなってしまっている)のも・・・
「過去」からの「何か」が理由(や原因)となっているものであり・・・
「未来」ではその「何か」をどうするのか(どのようにしていきたいのか)???・・・
を含めた「何か」が「今」問われている(全てが「今」に掛かっている)・・・
という魂の視点が成り立ち得ます。
では、更に魂の視点を活用してみると、
あの世では時間も空間も存在せず・・・
あるのは「今(という瞬間)」だけであり・・・
あの世では「体(肉体)」は無く(必要性が無く)・・・
あるのは「思い(思念)」であるが・・・
この「思い(思念)」には「実体」がある・・・
という捉え方になります。
そして、あの世では「思い(思念)」が主であるという点から、
この世で特徴的なのは「言葉」の活用
になります。
しかし、
「今」は多くの場面で・・・
「言葉」が蔑(ないがし)ろにされ続けている・・・
のが「実態(実体)」です。
しかし、現状はそれどころか、
様々な場面で・・・
「説明」などをしない・・・
という「言葉」の「不作為という行動」が増大している・・・
というのが「真の実態(実体)」です。
そして、これがこのTOPICSでも幾度もお伝えしております、
「言葉」を裏切る人は・・・
「言葉」に裏切られる・・・
という「反映(創造)」となってしまう、という意味です。
そして、
コロナ禍では自粛などの「不作為という行動」が求められているが・・・
その実は・・・
それ以前からの「言葉」の「不作為という行動」が蔓延していた・・・
というのが、魂の視点からの、
物事は大なり小なりそれぞれを反映している
という点に結び付いていきます。
そして、先ほどの供養の流れ(ケース)からもお分かりかもしれませんが、「言葉の不作為という行動」の前に、既に、