そして、ここでも部屋を変える為に引っ越しをしました。
そこで、正直に申しますと、社会人として生活を送る事になる部屋に関しては、両親が「社会人ともなればお付き合い等で、色々な人を部屋に招く事もあるだろうから」と話してくれて、当面は家賃の補助を受けておりました(苦笑)
その理由は、以前の2019年9月14日のTOPICS「私自身のブラック企業!?体験談(笑)」でも触れておりますので、怖い物見たさ?が好きな方はこれも覗いてみて下さい(笑)
そこで、社会人生活を送る事になった部屋は、鉄筋のマンションで1LDK、オートロック機能など、格段にグレードアップしました(笑)
そして、詰まる所、現在の五所川原に戻って来る迄の、東京での部屋はそこが最後となり、一番長く住んだ部屋でもありました。
そして、行政書士の事務所を移籍などもして、マンションの家賃も自分で払えるようになりました。
言わば、
社会人としての生活を送ったその部屋は・・・
当初は「分相応」では無かったものの・・・
何とか「分相応」になれるように・・・
「発奮」を促してくれた・・・
とも言えるものです。
そして、
それと同時に・・・
仕事や人生における・・・
「自信」をも・・・
という感じでした。
そして、現在の五所川原に戻って来る事になるのですが、小学生から慣れ親しんだ土地とは言え、戻ってみると昔は無かった施設などが新たに出来ていたり、あるいは、当時に慣れ親しんだ施設などが既に取り壊されていたり、また、都市計画?なのかは分かりませんが、新たな道路なども数多く作られていたりと、まるで「浦島太郎」状態であった事も正直な感想です(笑)
そして、五所川原で新たな生活を始める部屋となった訳ですが、車を活用した生活、冬場の雪かきや暖房の対処など、正直言って初めての事だらけ!という感じで、当初は面食らっていたのも事実です(苦笑)
このような事は、言わば、
自分の「再確認」と・・・
いつでも「新たな出発」が可能である事と・・・
私自身を・・・
その土地に「馴染ませる」・・・
ような目的があったのかもしれません。
そう言えば、「住めば都」という言葉もありますね(笑)
そのように、五所川原に戻って来た当初の部屋に6年ほど住んで、今回の引っ越しにより、実家での一人暮らしが幕を開けたという流れになっております。
では、とてもとても長々と私事の引っ越し経験をお伝えして参りましたが、ここからが今回のテーマの本番です(笑)