【 Bさんのケースから 】
お母様に持病があり在宅療養をされていた所、体調が悪化して寝たきりになり、訪問医の診察では「ここ1週間ほどかもしれません、、、」という状況で、『 幾分かでも救いになれば 』という娘さん(以下Bさん)からの依頼でした。
すぐに2~3日間の遠隔ヒーリングをさせて頂いた所、布団から起き上がれるようになったのみならず、大好きな家事や洗濯までして、お母様は活き活きし出したとの嬉しい連絡を貰いました。
しかし、その数日後に自宅でお母様は他界されました、、、
その死因の診断をした訪問医によると虚血性心疾患による血栓が原因であり、「これは予期する事がほとんど出来ないもので、おそらく寝ている間の出来事なので気づく事も、苦しむ事もなかったと思いますよ」との話でした。
そして、AさんとBさんから感謝の連絡を頂き、悲しく寂しくはあるものの、この先の自分の人生を精一杯生きていきます!!!という力強い言葉も添えられていました!!!
【 寿命の捉え方 】
実例の紹介は終了ですが、今回の実例からの「寿命」の捉え方では、ともすると、
治ったのであれば、それは「寿命」ではなかっただけ・・・
(結果として)他界したのであれば、それは「寿命」と(都合良く!?)解釈しているだけ・・・
との見方も成り立ちますし、そのような意見の方が多いかもしれません。
これはこれで良し悪しの問題でもなく、また、言い訳や弁解とも違う性質のものです。
ただ、私個人としては、
治ったから「寿命」ではなく・・・他界したから「寿命」である・・・
との見解は取らないように心掛けています。
【 「過程」に目を向け「結果」のみに拘(こだわ)らない姿勢 】
なぜなら、「治る = 寿命ではない」「治らなかった(他界された) = 寿命であった」と捉えてしまうと、
「二者択一」という視点に陥りやすくなる
からです。
そして、なぜ「二者択一」に陥るのを防ぐ事が大切なのかに関しては、
(「二者択一」に拘(こだわ)り過ぎると)次第に「考える」事を放棄する姿勢に繋がりやすくなるから
という理由です。
つまり、
治ったとしたら、それはとても喜ばしい事ではあるが・・・
仮に、治らなかったらどうしようという「怖れ」が二の足を踏ませる・・・
という不作為の「行動」に繋がりやすくなるからです。
つまり、
「過程」には目を向けようとしなくなり、「結果」のみに目を向け過ぎてしまうが為に・・・
何かしらの「行動」に移し辛くなっていく・・・
という事です。
勿論、「死んだら寿命! 治ったら寿命じゃない!」との「大胆な割り切り」も役立つでしょうし、それもそれで良いと思います(笑)
また、現代の多くの場合では、医師による治療は基本でもあり最低限として受けるケースが圧倒的に多いので、この「二者択一」というのは「治療そのものの有無」というよりも、例えば抗癌剤の投与や延命治療などの「治療内容に関わる有無」というケースで考えるのが多くなると思います。
なお、「二者択一」に陥らないという意味は、ヒーリングなどの活用の是非や推奨をしている訳では全くありませんので、その辺りも誤解の無きようお願い申し上げます(笑)