魂の視点から見る墓終(じま)い ~想いを込めると自縄自縛を防げる~ 

自分自身に「罪悪感」を持つ必要性は無い!!!

 

という点です。
これは、墓終(じま)いをする事に対して、ご先祖様や反対したご親類の方々などに対して抱いてしまう「罪悪感」もそうですが、

 

お墓を管理する事に限界を感じつつも・・・

波風を立てぬように、墓終(じま)いをしないという「選択と決断」をした・・・

自分自身に対する「罪悪感」・・・

 

も同様になります。
つまり、

 

墓終(じま)いをするという「選択と決断」を出来なかった(あるいは、させて貰えなかった)が故に・・・

その後の自分自身の人生が変えられてしまった・・・

 

などの「罪悪感」を持たない!という姿勢が、ここでは必ず必要になってきます。
なぜなら、ここでの「罪悪感」の裏に存在しているのは、

 

誰かや何かのせい(責任)しても・・・

人生は変わっていかない・・・

 

からです。
そして、

 

この世の出来事の全ては・・・

あの世においては全てが明らかになる!!!

 

という事がありますので、ある意味の「大胆さ」も加味しながら、墓終(じま)いの「選択と決断」をする際の「一考」の素材としてみて下さい(笑)

そして、ある意味の「大胆さ」という面に関しては、不謹慎に感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは笑い話?でよく聞く事ですが、身内の方がご病気などで入院されていて他界された際に、看護師さんなどがご家族にお電話を差し上げる際に、

 

先ほど〇〇さんが・・・

「チョット」お亡くなりになられました・・・

 

とお伝えしがちになる?というものです。
勿論ここには、身内の方がお亡くなりになられた衝撃を少しでも緩和させてあげたいとの、看護師さんなどの無意識からの「善意の思い」が「チョット」という言葉になっているのは言うまでもありません(笑)

なぜなら、私達がお墓やご仏壇に向かって語りかけたりするという「行動」は、相手の方が「今も存在している」という事が前提であり、「鏡に写った自分自身」に向かって語りかけるというのとは、少し性質が違う!?ものでもあります、、、が、、、しかし、、、この意味は最後にご紹介して参ります!

そして、このような墓終(じま)いというテーマから導かれる本当の供養の意味は、これもこのTOPICSでも幾度かお伝えしております通り、

 

この世に生きる私達が・・・

あの世の方々に安心して貰えるような・・・

生き方をすること!!!

 

に尽きるものです(笑)

そして、「ゆりかごから墓場まで」や「秘密は墓場まで持っていく」という言葉や、あるいは、ご夫婦や舅姑のご関係などにおいては、死んだ後まで一緒のお墓に入りたくない!などの言葉もよく聞かれますが、これらも全ては「今、ここから、どう考え生きるのですか?」という問い掛けになっているのが、本来の意味でもあります(笑)

 

そして、締め括りと致しまして、今回のようなテーマにおいて、今回のような内容をお伝えする際には、亡き人への冒涜だ!などのご意見もあるかもしれません。
しかし、次のような問い掛けに対して、私自身を含めた私達は、どのように答える事が出来るでしょうか?