魂の視点から見る墓終(じま)い ~想いを込めると自縄自縛を防げる~ 

私は父と母の3人家族ですが、父はいわゆる分家という事もあり、母が他界した時にお墓を建立しました。
なので、現在の私(というか正式には父ですが)の所有しているお墓には母を納骨しておりますが、ご先祖様は納骨しておりません

そして、私は無宗教ですが、以前のTOPICSでもご紹介した事があります、一休さん(一休宗純)が「幸せとは何か?」と問われた時に、「親死に、子死に、孫死に」と答えたように、ある種の順番通りであれば、今のお墓には父を納骨する事になります。

 

ただ、私は独身で子どももおりませんので、その後は、、、私自身が他界した時に、私をお墓に納骨してくれる人はおりませんし、自らで自分自身を納骨出来るような特殊能力???は私にも全くありません(笑)

なので、今現在の状況が続いたと仮定した際の、自分自身の人生における、ある一定の時期と判断した時には、今のお墓を墓終(じま)いする旨は父にも伝えております

 

勿論、この先に結婚する事もあるかもしれませんが(諦めて?はおりませんので(笑))、例えば、私がお墓を守る事に固執(執着)して結婚するなどと言う事が万が一にでもあれば、それこそ、ここ最近のTOPICSで繰り返しお伝えしております通り、あまりにも「不純な動機」という事になってしまいます(笑)

まあ、あまり参考にならなかったかもしれませんが、先に続けて参ります!
では、墓終(じま)いを考えるに当たり、最大のポイントは、以前に流行した「千の風になって」の歌詞(作者不詳)のように、

 

お墓に魂は存在しません・・・

というより・・・

お墓に居る必要性は全く無い!!!

 

というのが真実!?です(笑)
勿論、他界した後に、自分はお墓に行くものだ!との観念を強く持っていれば、一時的にはそのようなケースもある事はありますが、お墓にいる理由が全く無い!と気づいてしまえば、「な~んだ、本来の所へ行って、これから先の生活を充実させよう!」と一瞬にして状況や環境が変わります

ちなみに、ご気分を害される方もいらっしゃるかもしれませんが、病院にはいわゆる霊はほとんど存在しないのも、これと同趣旨の事です。
誰しもが、ご病気から解放されたら、(その後も)病院に居続けたいと思う方は(ほとんど)いらっしゃらない事でしょう。

 

また、他界後にお墓に出向く現象として、敢えて不適切な例えをすると、小学校を卒業したにも関わらず、(理由も無しに)中学校には行かずに、小学校に通い続けているようなものです(笑)
ちゃんと、今世という人生を修了したのですから、次に進んで良いのです!
ちなみに「終了」ではなく「修了」との言葉で間違っておりませんので(笑)

つまり、

 

他界されたご本人様において・・・

お墓に出向いてしまうというのは・・・

「気づいていない」が故の「行動」なので・・・

 

という点からも、皆さんも本当のご供養の意味が、薄々?分かりかけてきた頃かもしれませんね!?

では、魂の視点から墓終(じま)いをする時に大切になる点をお伝え致します。
まず、可能であればちゃんと墓前まで出向くという事は考えて頂きたい一点目です。
このような「思い」にまつわる事柄に関しては、出来るだけ「手間を惜しまない」という姿勢が大切であり、望ましいのは言うまでもありませんが、色々な状況などを鑑みて、出向く事が難しい場合には、それでも大丈夫です。

そこで、大切な点というのは、