「動機」を捉えるとは・・・ ~麻酔という医療特許と精神医療の身体拘束のケースから~

そして、この公開手術の舞台となったのが、マサチューセッツ総合病院であり、以前の公開手術ではウェルズが麻酔から執刀まで自ら一人で行ったのに対し、この時のモートンは、自らは麻酔をかけるだけであり、執刀は外科医に行って貰うなど、医師にも華を持たせる(と同時に、失敗した時の自らの責任を逃れる為にも)段取りを取っていきます。

そして、この公開手術は成功に終わるのですが、この際にモートンは人目を惹きつけ、見栄えを良くするためにフラスコを利用したガラス製の吸入器まで用意していました。
そして、この公開手術の成功がキッカケとなり、

 

「無感覚」を意味するギリシャ語の「アネステイシア」を語源とする・・・

「アネスシージャ(anaesthesia)」という「麻酔」を表す言葉が生み出され・・・

 

この出来事により、モートンの名は世界に知れ渡るようになっていきます、、、
勿論、痛みのコントロールが可能になったという事象は、医学上においても、人類史においても、有益で画期的な事でありますが、これを境に、逆にウェルズがペテン師とみなされ、モートンは偉人と称えられるようになっていきました。

 

このモートンの裏切りにより、ウェルズの心は怒りに支配され、自分が第一発明者である訴えをメディアなどを通して行っていきます。
そして、この二人の争いが世間に知られると、あちらこちらからも、自分が吸入麻酔の発見者だ!との名乗りが上がり、「医療特許」の大論争を巻き起こしていきます、、、

 

その名乗り出た人の内の一人が、医師で化学者であり、化学会の権威者であったチャールズ・ジャクソンという人でした。
実は、モートンは先の公開手術に先立って、ジャクソンに様々な相談を持ちかけていました。
手術で人目を惹くために活用したガラス製の吸入器もジャクソンのアイデアでした。
そこで、モートンとジャクソンの間で、「特許」を連名にする事で「名誉」と「お金」を山分けする事で手が打たれていきます。

 

そして、公開手術の1ケ月後に、アメリカ特許庁が「吸入麻酔法」の特許を認める事になりましたが、ここに、「現代にも綿々と受け継がれている」3つのポイントが存在していました、、、
それが、

 

① エーテルという「医薬品」

② フラスコ吸入器という「医療機器」

③ 吸入麻酔法という「医療法(医療のやり方や進め方)」

 

でした。
モートンが取得した特許はアメリカ国内で14年間有効であり、その間、吸入麻酔法を行う全ての医師や歯科医は特許料を支払う事になっていきます。
この事も、更に大論争を巻き起こしていきます、、、