鏡の法則から考える多面性と重なり ~実際のメールのやり取りから~

鏡の法則とは・・・

自分が「出逢う人」は皆・・・

「自分(自身)」の写し出しである・・・

 

というものです。
では、ここから、いよいよ、実際に行われたメールのやり取りに入って参りますが、クライアントの方を仮称「花子さん」と設定致しますので、宜しければ、「あなた」が「花子さん」になったつもりで、私とのメールのやり取りをしているような、疑似体験をお楽しみ???下さい(笑)
ちなみに、「(※)」の箇所は、注意書きとして今回のTOPICS用に追記しているものです。

それでは、最初に「花子さん」(あなた)からのご質問のメールです!

 

『 去年あたりから鏡の法則というものを、色々なサイトなどからも情報を得ては、それなりの理解をしてはみるのですが、その後に理解不能となり、の繰り返しをしています。

  全く自分にはない生活上の癖や性格の相手を見て、なぜ?それが自分なのか、、、相手=自分という単純なものではなく、その辺りの微妙な説明が分かったり、分からなくなってしまったり、、、 』

 

との内容です。
では、これに対する私から花子さんへの返信メールに進みます!

 

『 はい!
  鏡の法則的な捉え方においては、一つ抜けがちになっているのは、私達は「多面的な存在である」という点です。

  勿論、私も含め未熟な面があるからこそ、この世に存在しているのですが、どうしても一般論としてのスピ系(※ スピリチュアルな視点という意味です)の鏡の法則的な捉え方では、辛くて修行的な側面からの見方しか紹介されていないケースも多いです。

 

  この法則を特に日本人的な考えにそのまま当てはめてしまうと、日本人の美徳?として、自分の良い所を自分で認めて評価するという事が不慣れであるという傾向が高くなります。

  なので、どうしても鏡の法則では、何か嫌な面を持っている他の人に出逢うと、それも必ず自分の写し鏡だ!という所にしか意識が向けられないような現象が起こってしまいます。

 

つまり、素敵だなぁと感じる人との出逢いも、嫌だなぁと感じる人との出逢いも、両方を自分が兼ね備えているのですが、素敵な部分を更に伸ばす鏡も、短所を少しづつ長所に変えていく鏡も、同じ事という意味合いです。

  なので、出発点でもあり、同時にゴールでもあるのが、自分も「相手」も同じく多面的な存在である!という事になります。

 

  これがスピ系でよく表現される、私達は宝石の原石のようなもので、「角」を丸く磨いていく事で輝きを増していく!というものです。

  ただ、これは逆でも本当は同じ事になります。

 

日本では成長の比喩として、よく、金平糖作りの過程が取り上げられたりします。

  金平糖は、地道に何度も何度も鍋で熱せられ、そして、ひたすら鍋を回し続ける事で、素敵な「角」を創り上げていきます。

  このような「角」に対する視点を狭めてしまうと、花子さんのおっしゃる通り、迷い?や理解不能?に陥るケースも出てくるかもしれません(^-^)

 

  また、表現を少し変えますと、私達の波長は、高いか?低いか?の二者択一ではなく、高く(高い部分)もあり低く(低い部分)もあるという性質が、統合(融合)されている存在であるとも言えます。

  このような、どちらが正解?という二者択一に陥ると、迷いに繋がりやすくなりますので(^-^)

 

そして、このような視点に加え、もしかしたら以前にお話した事があるかもしれませんが、「成長は螺旋状に起こる」というのもポイントになります。

  螺旋階段は少し登っても景色が元に戻ったように感じる為に、やはり成長出来ていない、、、などの「錯覚」を起こしやすくなりますが、必ず観ている景色の「高さ」は微妙に違っているはずです。

  そこに、どう「気づくのか」?という事になりますが、ここに、自分の素敵な面も自分で認めてあげる事が出来るようになってくると、「螺旋状の成長」を実感しやすくなっていきますよ(^O^)v 』

 

とのお返事をさせて貰いました(笑)
そして、私の返答に対する花子さんからのお応えメールです!