「思い込み?」から考える死の存在と2019年のキーワード「3」

仮に、「死」の後も「自分(という意識が)」存続するのであれば・・・

「(擬似的な)死という体験」をする事は可能になりそうだが・・・

「死」が「自分(という意識)」が消滅し無になるのであれば・・・

そもそも「死という体験」をする事は可能なのであろうか・・・?

 

如何ですか?
頭がこんがらがって来ているかもしれませんね(笑)
繰り返しですが、今回は「答え」というものではなく、あくまで問い掛けを通して、考える素材として頂くのが目的です。
そして、考える際には今回のテーマの「思い込み?」という視点を活用してみて下さい!

 

では、ここで私が不思議?に感じている、勝手な解釈(という問い掛け)をご紹介致しますので、私の頭がオカシイ?でも何でも構いませんので、自由に発想や連想をしてみて下さい(笑)
まず、一つ目です。

 

「死」というのが「自分(という意識)」が消滅し無になる現象であるならば・・・

なぜ、そのような「死」と共に(瞬間的に)「体」は消滅しない(無にならない)のか・・・?

 

そして、二つ目です。

 

「死」というのが消滅し無になる現象であるならば・・・

どうして、消滅し無になる「死」そのもの(自体)は、「存在」出来るのであろうか・・・?

 

頭がパニックになりかけているかもしれませんね(笑)
ところで、私が「死」というものを考える時に、時折思い出す一つの歴史の流れがあります。
それは、皆さんも小学校高学年、あるいは、中学生の時に習った天動説と地動説です(笑)
では、簡単におさらいしてみましょう!
まず、

 

天動説とは、地球が宇宙の中心であり、その他の天体は地球の周りを回っている

 

というもので、これが当初の「宇宙観」でした。
そして、この「天動説」は本当なのか?との疑問が多くの人から出された事により、新たに「地動説」が提唱されるようになっていきました。
では、

 

地動説とは、宇宙の中心は太陽であり、地球も他の天体と一緒に太陽の周りを回っている

 

というものです。
段々と思い出してきましたでしょうか?(笑)
そして、多くの人がこの「地動説」を提唱している中で、有名な人が西暦1400年代から1500年代にかけてのコペルニクスであります。
ちなみに、このコペルニクスは「悪貨は良貨を駆逐する」を最初に唱えた人とも言われております。

 

そして、「天動説」が本当なのか?あるいは、「地動説」が正解なのか?などの様々な検証が重ねられていく中で、1600年代にこの「地動説」を強く提唱したのが、

 

ガリレオ・ガリレイ

 

です。
しかし、このガリレオは、

 

「(宗教)裁判」にかけられ有罪となり、その後も、迫害を受けていた・・・

 

とも伝えられています。
そして、1800年代に入って、

 

フーコー(という人物)が振り子を使って「地動説」を証明した

 

という歴史に繋がり、「地動説」の証明までには、提唱からおよそ300年の歳月が費やされました。
そして、現在においては、