魂の視点から考える鬱などの症状 ~望む自分と望まれる自分との違い~ 

【 常識やルールという落とし穴 】

その大きな誤解とは、

 

世間や社会で「真面目」と称されるのは、常識やルールに(疑う事をせずに無批判で)正確に従うこと

 

と解釈されている点です。

鬱などの症状に結び付く可能性のある「真面目」とは、

 

魂の視点から自分の内面を探す姿勢における「真剣さと謙虚さ」

 

です。

 

 

私自身も同じですが、自分の内面を探す作業をしている時には、

 

自分のネガティブな側面や否定的な(自分を非難するような)側面

 

に目が向きがちになるのは自然な事です。

なぜなら、

 

そこに「成長の芽」を魂の視点では見出している

 

からです。

故に、このような事は決して悪い事ではありません。

ただ、自分の嫌な面と向き合うのは、(程度の差はあれ)辛さや困難さを感じる部分があるのも自然な感情です。

 

【 本来の自分自身との乖離と葛藤が理由 】

自分の内面を探す作業から鬱などの症状に繋がる可能性の理由の一つに、

 

魂の視点から見た「本来の自分自身」「今、現在の自分自身」との間に・・・

乖離(分離)という葛藤(抵抗)を感じるから

 

というのがあります。

そして、この「今、現在の自分自身」というのは、

 

幼い頃からの環境や教育、そして世間や社会からの常識やルールという要請の元に形作られている今の自分という「姿」

 

です。

勿論、全ての環境や教育、全ての常識やルールに問題があるという趣旨ではありません。

また、鬱などで苦しんでいる人の家庭環境に原因があるという趣旨でも決してありません。

別の表現をしてみると、

 

魂の視点から見て「望む自分自身」「社会から望まれる自分の姿」との間に・・・

大きなギャップ(差)を感じている

 

という意味です。

更に、その感情の揺れ動きの中で、

 

「社会から望まれる自分の姿」を(絶対的な)善や良しとする方向性に・・・

自分の内面を探そう(合致させよう)としている

 

という葛藤や抵抗が、鬱などの症状に結び付く可能性があるという意味です。

 

 

【 逆転現象という自己矛盾 】

これを逆の視点から眺めると、

 

(魂の視点の上では)世間や社会の大きな「矛盾」に気づいているが故に・・・

(世間や社会に)合致させる事が出来ていない(と感じてしまう)自分を(無意識の上でも)責めてしまう・・・

 

という、

 

「逆転現象(自己矛盾)」

 

が起きている事が考えられます。

つまり、

 

魂の視点から見た自分にとっての真実や大切なものが、世間や社会では見過ごされている(無視されている)・・・

それ(魂の視点)を世間や社会に(自分の姿を)合致せようとすると・・・

苦痛や苦難などの葛藤や抵抗が自分の内面で起こり、乖離(分離)結び付いていく・・・

 

という面が様々な症状として現れやすくなるという意味です。

そして、このポイントの対処法は最後にコメントします。