世間や社会において「真面目」と称されているのは・・・
常識やルールに(疑う事をせずに無批判で)正確に従うこと・・・
と解釈される事がとても多いですが、鬱などの症状に結び付く可能性のある「真面目」とは、
魂の視点から自分の内面を探す姿勢における「真剣さと謙虚さ」
にあると私には思えています。
私自身もそうですが、自分の内面を探す作業をしている時には、
自分のネガティブな側面・・・あるいは・・・否定的な(自分を非難するような)側面・・・
に目が向きがちになるのは自然な事でもあります。
なぜなら、
そこに「成長の芽」を魂の視点では見出している
からです。
なので、このような事も決して悪い事ではありません。
ただ、自分の嫌な面と向き合うというのは、(程度の差はあれ、多少の)辛さや困難さを感じさせる部分があるのも自然な感情でもあります。
そして、何故このような自分の内面を探す作業から、鬱などの症状に繋がる可能性があるかと言うと、
魂の視点から見た「本来の自分自身」と・・・
「今、現在の自分自身」との間に・・・
乖離(分離)という葛藤(抵抗)を感じるから・・・
というのがあります。
そして、ここでの「今、現在の自分自身」というのは、
幼い頃からの環境や教育など・・・
あるいは・・・
世間や社会からの常識やルールという要請の元に形作られている面がとても大きい・・・
という「姿」です。
なお、誤解の無きようお伝え致しますが、全ての環境や教育、あるいは、全ての常識やルールに問題があるという趣旨ではありませんし、現在鬱などの症状でお悩みの方の家庭環境などに原因があるという趣旨でも決してありません。
これを別の表現を致しますと、
魂の視点から見て「望む自分自身」と・・・
「社会から望まれる自分の姿」との間に・・・
大きなギャップ(差)を感じている・・・
という感情の揺れ動きの中において、
「社会から望まれる自分の姿」を・・・
(絶対的な)善・・・あるいは・・・良しとする方向性に・・・
自分の内面を探そう(あるいは、合致させよう)としている・・・
という葛藤や抵抗が、鬱などの症状に結び付いている可能性があるという意味合いです。
これを逆の視点から眺めて見ると、
(魂の視点の上では)世間や社会における大きな「矛盾」に気づいているが故に・・・
それに合致させる事が出来ていない(と感じてしまう)自分を(無意識の上でも)責めてしまう・・・
という、
「逆転現象(時には自己矛盾)」
が起きている事が多いに考えられます。
つまり、
魂の視点から見た自分にとっての真実や大切なものが・・・
世間や社会においては見過ごされている(あるいは、無視されている)・・・
が、しかし・・・
それ(魂の視点)を世間や社会に(自分の姿を)合致せようとすると・・・
苦痛や苦難などの・・・葛藤や抵抗による・・・摩擦や軋轢が・・・
自分の心身の内で起こり、乖離(分離)に結び付いていく・・・
という面が様々な症状を引き起こしているかもしれないという意味合いにもなります。
そして、このポイントの対処法などは最後に述べて参りますので、2つ目のポイントに進みます。