出逢いと別れの季節 ~五月病の予防にも?~:過去の自分と比較する好機

知っている自分と似通っている相手とは、まるで、昔からの親友のように、短時間で自然と仲良くなる

という傾向も生まれやすくなりますし、それと同時に、

知っている自分とはあまりにも違いが多すぎる相手とは、距離感を探り始める

 

という傾向も同時に生まれやすくなります。
これも悪い事では決してありません(笑)
そして、仲良くなろうと、距離感を探ろうと、どちらにも当てはまる共通点は、

 

自分という「軸」を知る、という作業を行っている

 

という点は一致しています。
ただ、この多くが無意識で行われており、なおかつ、一番出逢いと別れが多い季節でもあるが故に、

 

多少の疲労感を感じてしまう・・・

 

という面が出過ぎてしまうと、「五月病」と呼ばれる症状に近くなっていきます。
そこで、まず、

 

そもそも人間関係とは、「ままならぬ」もの

 

であるという前提があります。
これは、学校でも勿論ですが、幅広い年代層が集う職場での方が多くの実感を持てるのではないでしょうか?(笑)
しかし、やはり学校でも職場でも出来るだけ良好な関係を築いていきたいというのも偽らざる本音と思われます。
まず、この「ままならぬ」という迷路に入り込まない為には、

 

過剰に相手に期待を求めない

 

という事が必要になります。
何か、クール?冷たい?という印象を持たれる言葉に思われるかもしれませんが、別の表現では、

 

君子の交わりは淡きこと水の如(ごと)し

 

とも言われるものです。
これを簡単に表現すると、人間関係は腹六分目、あるいは、腹八分目に留めるのが良い、とも解説されたりしますが、

 

何分目に留めるのも全くの自由

 

です(笑)
そして、留めるとは、相手を信頼しない、あるいは、自分をさらけ出さない、という意味でもありません
これは、

 

「共依存」に陥るのを防ぐ為

 

の指針として活用出来ます。
例えば、敢えて適切ではないケースを挙げてみますと、学校などで親友から「万引きの手伝い」を頼まれたとします。
あなたは・・・親友の頼みだし、悪い事とは理解しつつも・・・

 

嫌われたくもない・・・

 

との思いから、手を貸してしまうかもしれません。
しかし、その行為の行き着く先は、

 

両者は怒られる・・・という「共依存」が現象となって現れる

 

という結果に陥ります。
このような傾向は、学校に限らず、職場やご近所におけるイジメなどでも本質は同じです。
つまり、

 

「共依存」とは、お互いに自分を捨てて、(ほぼ)全てを相手任せにしてしまう

という所が、

出発点と同時に・・・(好ましからぬ結果に)陥る終着点ともなっている

 

という負の連鎖に繋がります。
もしかしたら、次からは見つからないように上手くやろう!という奇妙な連帯感に繋げてしまうケースもあるかもしれませんが、これは「共依存」状態を強化し続けているだけであり、負の連鎖から抜け出す事を、更に遠ざけてしまう結果にもなります。
ただ、多くの場合では、「あの人と付き合ったから、こんな酷い目に遭ってしまった」というような、

 

別れ(あるいは、疎遠)に繋がる

 

というケースの方が多くなる事と思います。
勿論、ここでも、「全てを相手の責任にしてしまっている」という負の面に気づく事もとても重要になりますが、「共依存」に陥るのを防ぐというのは、