① 手や足などの体の部分的な活用は比較的容易な事が多く
② そこで書かれた内容が、自分のものなのか、あるいは、別の存在のものなのか、の区別が付けづらく
③ 怖れを感じてしまっては元も子もない
という点がクローズアップされます。
勿論、全ての自動書記においてこのような憑依現象が関わってくる訳ではありません。
他では行っている所もあるでしょうし、自動書記を活用する利点というのも確かに存在します。
また、これも自動書記と似たような仕組みで、かつ、憑依の影響を受けるケースも稀にはあり得るかも?という手法の一つとして「ペンジュラム・ワーク」というのもありますが、ただ、自動書記よりは危険性も低く少ないと思われるため、このワークについては注意点をお伝えした上で、ヒプノセラピスト認定講座においても実技も行って貰ってますし、このようなワークが好きなクライアントの方には行って貰っても良いですよ、とお伝えしております。
そして、以前のTOPICSからの繰り返しですが、
憑依とは「感情」につけ込んでくるもの
です。
そして、「感情」の多くにつけ込まれた結果として、「体の動き」などにも影響が及ぼされるという順番です。
そして、
憑依現象をむやみに怖れる必要性も全くありません!
ただ、余計かつ不要な憑依現象を避ける為には、
常日頃から、自らを律する、という姿勢を保ち続ける
という事がとても効果的であり有効な予防法にもなります。
そして、喜怒哀楽などの感情は自然なものですし、私も多々感じる感情でもあります。
なので、喜怒哀楽などの感情を排除する必要性も全くありませんし、そもそも不可能な事でもあります。
そして、自らを律するとは、感情のバランスを保つ、感情の適度な頃合いを知る、とも表現出来ますが、このようなバランスや適度な頃合いを判断基準にすると、
自分にとっての、何が適度でバランスが取れているのかが分からず、逆に悩みの種が増えてしまう・・・
と言った声が多く聞かれます(笑)
そこで、ここ数年来続く最近の事件などの傾向から導き出しますと、
過ぎたるは猶及ばざるが如し
の諺を心掛ける事が、一番簡単で分かりやすくなると私自身は感じています。
つまり、バランスや適度な頃合いを見つけようとの「動き」を試みるよりも、
今の自分は、何かに過度・過剰になり過ぎていないかな?
と、ある種の「受け身」の姿勢を保つだけでも、多くの事に気づいていく事が出来ます。
そして、憑依という言葉尻だけを捉えると怖い現象と思われるかもしれませんが、