「死」の持つ意味とあの世の視点の獲得 ~「今」をより良く生きる為に~ 

実は、明日はお子さんがとても楽しみにしていた野球の試合の日でした。
そこでお父さんは明日に備えて、お子さんにお腹いっぱい食べて貰えるように焼き肉屋さんに連れて行こうと考えました。
そして、実はもう一つ、明日はお母さんの誕生日でもありました。
お子さんは明日の野球の試合で頑張って、お母さんへの誕生日プレゼントとして勝利を届けたいと思っていました。

 

ここ迄でお分かりになりましたでしょうか?(笑)
お母さんの「ヒドイ」と思う気持ちも、私にもよく理解出来ます(笑)
そして、お腹が痛いお母さんが実際にお父さんとお子さんの気持ちを推し量る余裕もない事も理解出来ます。
しかし、もし、お母さんが、お父さんとお子さんの気持ちを少しでも推し量る事が出来ていれば、

 

「ヒドイ」という反応が、僅かの変化でも違ったものになっていたのでは・・・?

 

というのが「あの世の視点」という意味合いです。
そして、もしかしたら、よし!明日は子どもの応援に行くために一晩寝て治してしまうぞ!というように、巡り巡って自分自身への励ましに繋がっていく事もあるかもしれません。
そして、ここで言う「あの世の視点」とは、

 

想像力、思いやり、気遣い、感謝・・・などの様々な思い

 

と捉える事が出来ます。
そして、このような様々な思いというのは、

 

この世でもあの世でも変わらない

 

という点が一致しています。
つまり、「あの世の視点の獲得」とは、

 

「制限」している思いや考えを、少し「拡大」してみる

 

ことで、いつでも、どこでも手に入る視点の事を指しています。
勿論、この世とあの世とでは、視点の「拡大の程度の差」が生じることは否めませんし、それはそれで構わないとも思います。
そして、500年生きようと、1000年生きようと、あるいは、あの世に戻ろうと、

 

気づかなければ手に入らない

 

と言えるかもしれません。
また、それと同時に、

 

気づくとは、思い出すのと同じこと・・・

 

ともよく言われます。
今回のテーマも私が証明しようにも出来ませんし、捉え方は皆さんの自由です。
しかし、不老不死というケースにせよ、あの世の視点という事にせよ、

 

起点となっている思いは「今、ここ」にある

 

という事を、何かの折には、よろしければ意識してみて下さい。
そして、あの世の視点という事に関して、私自身の繰り返してきた後悔?から気づいたケースというのを、具体的に少しだけご紹介します。
と言っても取るに足らないケースではありますが(笑)

 

私もこれまで、海外を含め幾度か旅行をしてきました。
皆さんの多くも同じかもしれませんが、私も旅行に出向く前に、旅行先の観光案内の本などを購入して、どこそこに行ってみたいなどの簡単な目星をつけて行っていました。
そして、ここからが私の後悔?の始まりです(笑)