あまりにも「過剰」になり過ぎると、逆の結果を生み出してしまう怖れもあり得る
というケースも起こり得るという事です。
そして、このような時に起こっているのは、
バランスを保つ事が出来ていない
という事です。
なお、バランスを保つとは、常に「5:5」であるとは限りません。
人それぞれ、あるいは、状況や環境によっては「9:1」あるいは「6:4」など、様々に変化します。
そして、ここにも憑依現象と気づきなどがもたらされるケースとの違いを見出す事が出来ます。
それは、
憑依現象は、ネガティブ・低い、あるいは、ポジティブ・高い、のどちらにせよ、あまりにも「過剰」になり過ぎる時に起こりやすくなる
そして、逆に、
気づきなどのケースでは、バランスが保たれている、言わば、心が中立・ニュートラルのように開かれている時にもたらされやすくなる
と言えます。
つまり、憑依にせよ気づきのもたらしにせよ、どちらが善くてどちらかが悪く、あるいは、どちらが正しくてどちらかが間違っている、という単純な価値判断・基準のものではないという事です。
なぜなら繰り返しになりますが、憑依にせよ、何かしらの守護のような望ましい現象にせよ、
どちらもその本質は同じ源であり
そして、
仕組みは全く一緒である
からです。
そして、
そのどちらを選択し決断するかは、あなた自身の内面次第
という事です。
そして、どちらを選択し決断するかという場面においては、
心が中立・ニュートラルになっている
と言えます。
なぜなら、心が中立・ニュートラルな状態であるからこそ、
選択肢を発見出来ている
からです。
これが、心が「過剰」になり過ぎていると、
悪魔の声か天使の声かの、どちらか「一方しか」見えていない・聞こえていない
という状態だからです。
そして、選択肢というのは複数存在します。
今回は悪魔と天使と区分けしましたが、大悪魔と小悪魔、大天使と小天使と区分けする事も出来ますし、そもそも、中立・ニュートラルな状態では、例えば犬を飼おうと思っている人が、チワワがいいかな?シェパードがいいかな?というように、善悪の問題ではないという捉え方を自然と出来ていく事が、「理由・原因 = 答え」に繋がりやすくなります。
もし、あなたが迷っている時、あるいは、何かを決断しなければならない時など、
天使の声や悪魔の声などを想定する事により、あなたの心を中立・ニュートラルな状態に近づけやすくなる
というように活用出来ます。
そして、これは憑依などを見極める際にも活用出来ます。
例えば、理由も分からず、原因も見つけられず、何か不意に、ある感情に凌駕されそうになった時、
これは自分の内面から出ているものなのか?
あるいは、
自分の内面ではない所から来ているものなのか?
と、理性で分析するという方法です。
理性で分析すると、先程来の悪魔の声と天使の声などに分類しやすくなっていきます。
そして、このような声の多くは、生きている人間からの影響であるケースも多々あります。
それは、例えばあなた自身が自分の考えや意見にそぐわないと感じている場合などで、他の人から、
それが当たり前でしょ! そうあるべきでしょ! それが常識というものでしょ!
と強く意見をされ、それに「無批判」で従いがちになってしまうような場合にも当てはまります。
勿論、人の意見に聞く耳を持つ事も必要であり、大切な事です。
しかし、「無批判」で受け入れるという事は、何か望ましくない結果に終わった時には「誰かのせい」にしがちになってしまう傾向が大きくなってしまいます。
このような側面からも、憑依であろうと日常生活においてであろうと同じ事です。
つまり、全てはあなたの内面にあるものであり、それが「理由・原因 = 答え」という「問題」提起となっています。
そして、
「問題」というのは見つけられてしまうと(気づかれてしまうと)、次第に力を失っていく
という特質があります。
このように理性で分析することで、